鞍が淵の伝説と沙石集

鞍が淵の伝説に関係して、手塚村の村誌にこんな記述があります。

「長野県町村誌 手塚村」 明治15年(1882)
往昔一寺あり、住僧蛇女と姦すと云ふ 砂石集に信濃の塩田の里の山、奥寺に通ふ女ありて二女を産すとあり、蓋此ならんか。

「砂石集」は沙石集のことだと思い、調べてみたのですが、一致する話は見つかりませんでした。異本にあるのでしょうか。近い話としては「聖の子持てる事」がありました。冒頭「信州塩田のある山寺」と書かれた異本があるそうです。(塩田の山寺というと、北条義政も連想されたのでしょうか? 義政は出家し、3人の子供(時治、国時、胤時)が知られています。東塩田の三郎川の三郎とは胤時のことではないかとも言われます。)

沙石集 巻第四
三 聖の子持てる事
信州のある山寺に上人あり。三腹に三人の子を持ちたり。初めの腹の子は、まめやかに忍び忍び通ひければ、上人の子と云ひて具して来りけれども、不審に思えければ、名、「思ひもよらず」とぞ付けたり。次の腹の子は、時々に我が房にも忍び忍び通ひて住みければ、ひたすら疑ひの心も薄くて、名をば、「さもあらん」と付けたり。後の妻はうちたえ家に置きて、疑ひの心もなかりければ、その腹の子をば、「子細なし」と付けたり。ある人に逢ひて、自ら名のりて、この聖、「三人の子あり、しかしかと名付けて候。是れは、『子細なし』が母なり」とて、妻も出でて見参し、「思ひもよらず」も、少し大人しき子にて有りけるを、見たる人の物語なり。

(意訳)
信州のある山寺に高僧がいた。三人の女に三人の子供を持った。最初の子は、女が気付かれないようにこっそり通ったので、僧の子だと言って連れてきたが、本当かどうか不審に思い、名前を「思いもよらず」(思い当たらない)と付けた。次の子は、女が時々僧の家にこっそり通って一緒に暮らしたので、疑う気持ちは薄く、名前を「さもあらん」(そういうこともあるだろう)と付けた。最後の女はずっと家に置いて、疑いの気持ちがなかったので、その子の名前は「子細なし」(疑いない)と付けた。ある人に会ったとき、自分から進んで「三人の子供があります。このように名前を付けました。これは『子細なし』(疑いない)の母親です」と言い、女も出てきて挨拶をした。「思いもよらず」(思い当たらない)は少し大人びた子であった。その様子を見た人の話である。

 

沙石集 巻第四 下 上人子持事(「信州塩田の或山寺に上人有り」)
(元和4 1618)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544537/23
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2568298/23
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2599584/58
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2599589/60
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040496/90
(「しなのゝくに塩田のある山寺に上人あり」)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551169/42


※追記:最近の蛇骨石の由来話?
新しい鞍が淵伝説
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