武石小学校の校章とブセキ

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1番上の写真は武石小学校の建物にある校章です。
同校のウェブサイトに校章についての説明があります。
http://www.school.umic.jp/takeshi/2009/0401-113905.php

この校章は大正15年(昭和元年)に一般からデザインを募集して作られました。デザインしたのは同校の卒業生で当時中学一年だった方です。
武石村郷土誌資料集 後編」122頁にその方の回想文が載っていました。
上の2番目の画像は「武石村郷土誌資料集 後編」に載っていた図をいくつか抜き出して、書き写したものです。(文と矢印は書き足したもの)

上下左右の部分は「岳」の字の篆書体を図案化したもので、「岳四(たけ・し)=武石」を意味しているそうです。ポピュラーな言葉遊び・判じ物なのか、製作者独自のものなのかは、書かれていなくて、わかりませんでした。

中央の四角 ◇ がブセキの六面体(立方体)を図案化したものです。
四角の中に2本の線を引いて「小」の字を表現しています。

最初、武石小学校の校章を見たとき、どの部分がブセキを表しているのかわかりませんでした。「岳四」の特徴的なデザインに比べ、ブセキの方は四角だけなので、言われないと気付きにくいですね。
また、ブセキの形が、面が下になる □ ではなく ◇ であることも、すぐにはわからなかった理由の一つだと思います。ブセキには □ のイメージを持っていました。
そう言えば、立科町の「石を集めた五無斎先生」という紙芝居でも、たぶんブセキだと思いますが、岩の表面に四角錐形の結晶がたくさん付いている絵がありました。◇ のイメージを持っている人も多いのかもしれません。


ところで、「五角十二面体のものを武石(ぶせき)と呼び、立方体のものを枡石(ますいし)と呼んでいる」という話を聞きます。木下亀城・小川留太郎「標準原色図鑑全集 岩石鉱物」(1967)などに書かれています。
「岩石鉱物」には上の3番目の画像の図版があるので、文章では「五角十二面体のもの」としか書かれていませんが、実際には五角十二面体と立方体の集形のものも含めてブセキと呼ぶと考えていたようです。
しかし、武石小学校の校章のいわれを見ると、少なくとも武石村では、大正から昭和にかけて、立方体の形の結晶をブセキと呼ぶ人がいたことがわかります。
では、誰がいつ頃、上記のようなブセキと枡石の区別をしていたのでしょうか。裏付けが何も示されていないため、不明です。


武石村で、村名と紛らわしい「ブセキ」という呼び方を昔からしていたのかどうかは、疑問だと思っています。江戸時代に本草学者や弄石家が、村名を石の名前と勘違いして「武石(ぶせき)」と呼ぶようになり、明治になって学校等を通じて一般に広まった、という可能性もあるのではないでしょうか。