2018-01-01から1年間の記事一覧

サンマの鱗

写真はスーパーで買ったサンマの鱗です。大きさ約5mm、上方向が頭側、円鱗で隆起線はほぼシンプルな同心円状。溝条は見えません。露出部が青色。(手近にあった1枚写真用クリアポケットに濡れたまま挟んで後ろに百均のLEDランタンを置いて接写してみました。…

石英の観察

写真は上田創造館の玉髄(石英脈)と、水晶つき石英の標本の一部分です。 半透明の部分は玉髄、白い塊りは玉髄・碧玉または蛋白石?、白い土状・粉状の部分はクリストバル石?、白くガサガサした部分・小さくきらきら光を反射する部分はクリストバル石か鱗珪…

信州昆虫資料館の出張展示

道の駅あおき にある信州昆虫資料館の出張ミニ展示を見てきました。信州昆虫資料館は冬の間は休館ですが、出張展示は通年とのこと。 農産物直売所の向かい側の ぷらっと家(ホーム)あおき の建物の中にあります。展示を見ている間、Pepper 君が少し離れた場所…

西行の戻り橋の謎

別所温泉に「西行の戻り橋」という伝説があるのですが、どの橋のことか、はっきりとはしていないようです。 1枚目の画像は井出道貞(1757?-1842?)『信濃奇区一覧』(1834?)の明治初期の写しの別所温泉の絵図の一部。2枚目の画像は明治20年に同書が『信濃奇勝録…

土鑵子の謎

井出道貞(1757?-1842?)『信濃奇勝録』の松代の土鑵子(どうかんす)の図です。 夏に長野県立歴史館の河童の企画展で展示されたのですが、残念ながら行けませんでした。 「歴史館たより 2018年夏号」の写真を見ると、骨の加工品であることは間違いなさそうで…

黄鉄鉱・白鉄鉱化した化石

1月に採集した植物化石(黄鉄鉱・白鉄鉱化、木の葉)が分解して、霜柱状態になっていました。4月には気がつかなかったのでそれ以降でしょうか。もしかしたら気温も変化の速度に影響するのかも。 透明の部分、白色の部分、薄い赤茶色の部分、黄色の部分(硫黄…

保科百助の常設展示

今年もいくつか文化祭を見てきました。地域の自然や歴史についての展示が目当てで、多くはありませんが、貴重な資料が見られてありがたいです。 立科町文化展を見た後、ふるさと交流館「芦田宿」の保科百助の常設展示を見ました。狂歌の短冊や信州産岩石鉱物…

ダンボールアート・恐竜の世界

上田創造館の展示「ダンボールアート・恐竜の世界」を見てきました。11月2日(金)~25日(日)。 子供向けの、迷路、恐竜クイズ、すべり台、木馬(ダンボール角竜類?)等の遊具の展示で、アイデアがたくさん詰まっていて面白かったです。 恐竜等の解説パネルで…

木の化石

東御市北御牧地区生涯学習作品展(北御牧公民館)を見てきました。 市民交流サロンの貝化石・植物化石は作品展の後ろに隠れて見えず、また次の機会に。 アケボノゾウ化石の展示コーナーで偶然会った方と、2階の和室に木の化石があるという話になって、一緒に…

植物化石の展示

東御市 火のアートフェスティバルで、北御牧郷土資料館の化石展示を見てきました。大杭層(鮮新世~更新世前期)。 ケヤキに似た葉がいくつもあって興味深かったです。それぞれ別種かもしれませんが、細かい鋸歯があまり見えず、ケヤキの仲間のバリエーショ…

化石の展示

とっこ館の化石の展示を見てきました。10月1日~23日。(2枚目以降の写真) 野倉民俗資料館(閉館中?)の所蔵品の一部とのこと。21点。(ちなみに以前の同館の解説文によれば採集標本は千点以上) http://www.shiodanosato.jp/ 1枚目の写真は、今回の展示に…

地質の活用

写真は千曲川で見かけた石英閃緑岩の小石の中の緑簾石です。同様の緑簾石の結晶は内村層の緑色凝灰岩類で多く見られ、どちらも石英閃緑岩が内村層に貫入したときに熱水によって出来たものでしょうか。 武石村の緑簾石の晶洞球顆(武石村の焼餅石)は、現在は…

方解石、黄鉄鉱

地質の観察会のときに「地域の代表的な鉱物は?」という質問というか話題があって、選ぶ基準に迷いましたが、石英、方解石、黄鉄鉱を挙げてみました。 身の回りの石や土砂は主に鉱物でできているので、量で選ぶなら、例えば火成岩の地域なら造岩鉱物の輝石、…

山の形

ハザードマップ等を見て、大きな地震のときに、どこでどんな崩壊・土石流・地すべり等があるか、頭の中で想像してみることも大切とのことで、地形や山の写真を見返したりしています。上の写真は斜面をえぐったような地形の中から、尾野山地区(東側から撮影…

自由研究の作品展

今年も上小児童生徒科学作品展を見てきました。上田創造館で今日と明日開催。 地質関係は、石の採集・コレクションに止まらず、気になる石の中の鉱物を調べたり、実験したりする作品があって、素晴らしかったです。(石の分類や成因については人によって言う…

沸石の観察

8月は暑過ぎて山にはほとんど出かけませんでしたが、先日、地質観察に誘って頂いて、初めての場所へ行ってきました。(ほとんど車移動) 上の写真はその場所とは別件で、そのとき学生さんから地元の沸石の微小結晶について質問を頂き、それがこんな感じの鉱…

変な石ころ、普通の石ころ(その2)

赤い模様のある、黒っぽい石です。紅十勝石とかマホガニーオブシディアンとかにも少し似ていますが、飾り石に使われているかどうかは知りません。(以前「マホガニー安山岩」と(たぶん冗談で)呼ばれているのを聞いたことがあります。) この石の露頭はまだ…

変な石ころ、普通の石ころ

川原で見かけたいろいろな模様の石です。 1枚目の写真は黒っぽい斑晶(たぶん角閃石)がある、普通の石ですが、何となく気になって見てしまいます。(家の近くに同じような石があって、雨が落ちてきたのかな?と、度々だまされます。) 2枚目の写真は、別の…

化石の体験、標本作り

先日、化石採集体験をして、今回は標本箱を一つ、みんなで作ってみました。(材料費はほぼ0円) 写真は事前に作った作成例です。ケース(約22cm x 16cm 108円)は実際は空き箱を使いました。小箱は昨年と同じで、ポスターなどの裏紙を折って作成。42mm x 37mm …

「日本の深海調査の開拓者」展

上田創造館の夏の企画展「日本の深海調査の開拓者」を見てきました。同時開催「魚?ぎょ?gyo?この海洋生物名前はな~に?」 7月28日(土)~8月26日(日) 地元の化石の展示(鈴木秀史先生の研究)もありました。(1~6枚目の写真。斜めから見たので化石の…

磁石につく石

1枚目の写真は川原の小石を小さなネオジム磁石につけてぶら下げたところです。 磁石につく石について調べた自由研究作品を見たことがありますが、先日採集した標本では安山岩、石英閃緑岩、緑色凝灰岩(部分)が磁石につきました。たぶん磁鉄鉱、磁赤鉄鉱な…

川原の石ころ標本

先日100円の仕切りケースを使った岩石標本を見せて頂いたので、真似をして川原の小石の標本を作ってみました。一マス 3cm x 2cm。(一番上の段以外はケースの一マスに2個ずつ入れています。) 1種1個、できるだけ多くの種類を集める方法です。(微妙に異なる…

コケムシとカイメン

以前、信州新町化石博物館「化石であそぼう!」展で見た小さな化石(約3mm~5mm)です。戸隠産の小さな化石の採集体験イベント(微化石モンスターを探せ!等)の成果物を展示したもの。「カイメン」と書いてあって、特に説明はなく、こういう種類のカイメン…

地質図と岩石標本

ほぼ同地点で採集した2種類の凝灰岩?です。写真幅約5mm。上のものは柔らかくて手でもある程度小さく割ることができました。露出の範囲は300m以上。下は硬くてハンマーが必要。道沿いに点在していて分布はよくわかりません。 地質図等に情報があるか見てみま…

有孔虫と耳石

上田創造館の岩石・鉱物・化石標本がいくつか増えていました。1枚目の写真の貝化石(約2cm 少し泥質の砂岩)は、候補は Portlandia Yoldia Saccella 等でしょうか。数が多いようなので鑑定すれば種類が絞り込めるかも。 2枚目の写真、左は有孔虫化石(別所層…

名称からの遡及的連想

1枚目の写真は『長野県地学図鑑』(1980) 138頁より T字形の玄能石。(約10cm弱) こんなT字形の石を子供が見たら「げんのういし」と呼んで遊ぶかもしれません。案外そんなことが語源なのかも。(形と名称からの遡り連想) 保科百助の玄能石入手についての記…

別所層の崖(続き)

本でも紹介された、玄能石の産地として有名な浦野川沿いの露頭が「立ち入りを禁止」「岩石の採集を禁止」(トラロープ)になっていました。 それでも鉱物採集で掘る人はいるようで(2枚目の写真)、周辺の保全を考えているのでしたら、今後も注意は必要かと…

五無斎保科百助君碑

津金寺の五無斎保科百助君碑です。揮毫は渡辺敏(わたなべ びん)先生。 顔写真は2011年の戸隠地質化石博物館「保科五無斎 没後100年展」より。 渡辺敏と浅岡一(あさおか はじめ)は実の兄弟なのでどちらか迷うことがありますが、いくつか比べてみると浅岡…

五無斎保科百助全集と記念イベント

記事画像は『信濃公論 第76号 明治43年4月13日』「時事短評」より。(『五無斎保科百助全集』(1964)250頁) 『全集』には文体に違和感のある文章があって、「時事短評」もその一つ。原本を見るとどれも無署名でした。保科百助の意に沿わない内容ではないかも…

長野県学生科学賞作品展覧会報告

『長野県学生科学賞作品展覧会報告』は夏休みの自由研究作品に関する冊子で、昭和39年度と40年度の報告(発行は40年12月と41年12月)に北御牧中学校地学班の作品の概要が載っていました。 (この報告書は作品そのものではないので、誤写等がある可能性はあり…