石灰華の蛇骨

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写真は保科百助(ほしな ひゃくすけ 1868-1911)「長野県地学標本」(明治36 1903)にある石灰華です。珪華や石灰華は植物等を含むことがあるので、それを見て、落ち葉が変化してできたものという考えが出てきたのかも。

薬の蛇骨は珪華と言われることが多いですが、昔の本を見ると、木の化石とか、落ち葉からできたものとか、鍾乳石らしきものとか、いろいろ言われていて、一つのものではなかったようにも思えます。(年代や地域等による認識の差異や変化を、間違いとして切り捨てるのも変な話かと…)

西村白烏『煙霞綺談』(安永2 1773)に書かれた駿河国志太郡の蛇骨は、当時の学者から石灰華のように見られたようです。ただし「今は垣も踏台も云つたえたるばかりにて」と、(鍾乳石と思われる)実物が残っているとは書いていないので、石灰華等から連想された、他所の鍾乳洞の話が混じっているという可能性もあると思います。(実物が多く残っていて、それが鍾乳石なら、付近に鍾乳洞があった可能性が高く、実物が残っていないなら、話の付加の可能性が高いかと。化石の可能性も無くはないとは思いますが、判断材料が少なく、人が立って入れるほど大きな洞窟のような産状も知らないので、わかりません。)
「口とおぼしき所に入りて、手を伸ばし見るに、ようやく上顎に届く」は鍾乳洞に入ったときの描写で、「骨を取りて山畑の鹿垣に結い」は柱状の鍾乳石を鹿よけの石垣や柵の一部に使ったということでしょうか。「胴骨は柿渋をつく臼又は居家沓脱の踏台とせしが」というのは、臼のような中央が窪んだ形や、平らな台のような形の塊り(石筍等?)があったということでしょうか。(臼は木製等でも特に不都合はなさそうな気がするので、上から押し潰す方に使ったか、あるいは柿渋の製作時や利用時に石灰成分が使われたとか?)

本川根のむかし話』によると「流れに沿って石や地面が真っ白になっており、かなり厚く堆積している状況がみられる」「恐らく調査すれば鍾乳洞等も見られるかもしれない」「この水をわかすと真っ赤な、そうですあの大蛇の血のような色になってしまうのでした」とのことで、現在も鍾乳洞やその痕跡が確認されているわけではないようでした。

本川根のむかし話 第二集』
http://www.town.kawanehon.shizuoka.jp/soshiki/shakaikyoiku/syakaikyoiku/5041.html
http://www.town.kawanehon.shizuoka.jp/section/digitalbook2/
民話の玉手箱 第58回「本川根の昔ばなし~蛇骨沢・天狗石と大蛇~」
http://www.fmhi.co.jp/backnumber_syosai.php?pcd=202

以前、飯山高校の松川の鉄分沈着の研究を見ました。蛇骨沢の水の変化はどうなのでしょうね。
長野県学校科学教育奨励金 2015(平成27)年度 交付一覧
http://sbc21.co.jp/corporate/shorei/2015/

江戸時代の蛇骨石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36394425

西村白烏『煙霞綺談』(安永2年序 1773) (26コマ目)
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100239184
http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_B_100239184

煙霞綺談(ゑんかきだん) 巻之二
○山(やま)崩(くずれ)て大蛇(たいじや)を埋(うづ)む

○前篇(ぜんへん)所々(しよ/\)大蛇(だいしや)の説を擧(あげ)て出されたり愚若(わか)かりしときより人の語(かた)るを聞(きく)に多(をゝ)くは見し人大に煩(わづら)ふて漸(やうやく)快気(くはいき)の後(のち)に其(その)蛇(じや)の形象(けいしやう)長短(ちやうたん)を語話(ごわ)す実(まこと)に蛇(じや)の毒気(どくき)をふれて煩(わづら)ふや又は山中杣(そま)人の根伐(ねぎり)していまだ山出しせざる木に行かゝりふと其木の動(うご)きたるに驚(おどろ)き怖(をぢ)たるやと未審(いぶかし)き事間(まゝ)あり
深山幽谷(しんざんゆうこく)に大蛇(じや)数(す)千年を経(へ)て海中(かいちう)へ出るものなりといふ人あり又相州箱根(はこね)山其外深山(しんざん)より蛇骨(じやこつ)といふもの出る医家(いか)へ尋(たつね)侍(はべ)れば深山(しんざん)諸木(しよぼく)の葉(は)落(をち)重(かさな)りて数(す)年の後(のち)土中(どちう)に化(け)して蛇骨(じやこつ)となる深山(しんざん)の地震(ぢしん)に崩(くづ)れ欠(かけ)たる所土中山の形(なり)にうねり曲(まが)りて見ゆるゆへに真(しん)の蛇骨(しやこつ)と覺(をぼ)へたる俗(ぞく)多(をゝ)しといへり
此(この)蛇骨(じやこつ)の説(せつ)に似(に)たる事あり天正年中の事かとよ駿河(するが)國志太郡(しだこふり)の山中桑野(くはの)山といふ村にて 大井川の上海道より二十里餘 数(す)千年を経(へ)たる大蛇(じや)海に出んと欲(ほつ)し先(まづ)大井川にはらばひ臥(ふし)て流(ながれ)を堰止(せきとめ)しかば川上六里前まで水湛(たゝへ)て其水の洪(あぶ)れ落(をつ)るにつれて海へ出る所にあまりに水のいきほひつよくて大山崩(くづ)れ落(をち)て大蛇(じや)を埋(うづ)む其後に土ながれ大蛇(じや)の白骨(はくこつ)顕(あらは)れ出しに口とおほしき所に入て手を伸(のば)し見るに漸(やうやく)上腮(うはあご)にとゞくそれより連々(れん/\)に骨(ほね)を取て山畑(はた)の鹿垣(しゝかき)に結(ゆ)ひ胴骨(どうほね)は柿渋(かきしぶ)を舂(つく)臼(うす)又は居家(きよか)沓脱(くつぬぎ)の踏臺(ふみだい)とせしが年々諸方へ執去(とりさり)しかば今は垣(かき)も踏臺(ふみだい)も云つたへたるばかりにて其形(かたち)に似(に)たるものさへ稀(まれ)なり適(たま/\)石に油の凝(こり)たるごとき物のつきたる数多(あまた)ありて彼(かの)蛇(じや)の油なりとてけづりて切疵(きず)などに付る
近比此石をもとめて東武に異品(ゐひん)を好(この)める人に贈(をく)りしに衆議(しゆぎ)判断(はんだん)して山洞(とう)鍾乳(しやうにう)の滴(したゞ)り落(をち)て自然(しぜん)に土石油の凝たるごとき是を石状(せきじやう)といふ往昔(むかし)鍾乳(しやうにう)の洞(ほら)崩(くづ)れながれて斯(かく)のごとくの石間々(まゝ)出るものならん蛇(じや)の大山に押(をし)埋(うづめ)られたるとは虚説(きよせつ)ならんと評(ひやう)せられたり