2011-01-01から1年間の記事一覧

「パリ万博に五無斎の鉱物標本が出品された」という話

1900年のパリ万博に保科百助の鉱物標本が出品されたという話があります。 「五無斎保科百助全集」には「この年パリーに催された万国博覧会に五無斎採集の十三種の鉱物を出品す」とあります。(年譜の明治33年) 八木貞助は、信濃産が13種、五無斎の発見・採…

「続々発見」という話

益富寿之助は著書の中で五無斎保科百助についても紹介しています。ただし、一部に事実とは異なる内容もあります。 益富寿之助「石-昭和雲根志- 第1編」(1967) 107ページ その頃、武石村下本入で緑れん石含有の球顆を発見し、これが鑑定に高先生を煩わした…

「明治時代の考古学者は玄能石を石器だと思っていた」という話

明治時代の考古学者は玄能石を石器だと思っていた、という話を聞くことがあります。ところが、いつ誰が何をしたのか、具体的なことはなぜか示されません。このような場合、作り話の可能性もあるのですが、実はこの話には一応の「証言」があります。明治29年…

千曲之真砂・信濃国小県郡年表の土油

瀬下敬忠(1709-1789)の「千曲之真砂」(1753)に赤井村の石油の話があります。上野尚志「信濃国小県郡年表」もそれを引用しています。 1730年頃のことだとすると、松平上田藩の初期です。松平忠周か忠愛か。 一度現地を見てみたいですが、赤井村、日向村、御屋…

信濃国小県郡年表の貝化石と木の葉石

信濃国小県郡年表の「土産」にある田沢村の貝化石と野倉の木の葉石について。 (原書を見たところ「貝化石」の後に「田沢村」の記述はありませんでした。そのためこの投稿の内容は不確かになりました。2012年9月19日) 田沢村は知る限りでは、青木村と東御市…

信濃国小県郡年表の「むかでいし」

上野尚志「信濃国小県郡年表」(明治17年)には化石の話も少しあります。 (5ページ) 又小泉蛇川原より竜骨石(俗にむかでいし)を出し西沢より貝化石を出す類みな会て水中にて化せしものなるべく、文化年間浦野東昌寺の後山より大なる法螺二つ出たこともあ…

信濃国小県郡年表のあられ石

上野尚志「信濃国小県郡年表」(明治17年)「巻四 自寛永二年 至宝永三年」「土産」の項目中に以下の記述があります。(167ページ) 貝化石(全く石にして片面に貝の紋を有)田沢村 硝石(海野、田中 嘉永元) あられ石(其質堅剛、雲根志) 和田 武石(下等…

舌喰池の謎、消えた手塚池

小県郡民譚集に手塚村の舌喰池(舌食池 したくいいけ)の話があります。 小山真夫「小県郡民譚集」 昭和8年(1933) 60頁 手塚村の舌喰《したくひ》池は昔池を築くに數土堤が崩れて水をたたえることが出来なかった。そこで「籤をひいて當つた者を人柱として埋め…

玄能石の名前の由来について

玄能石も「名称から由来が作られた」のではないかと考えています。「玄翁(玄能)に似ているから玄能石と呼ばれるようになった」と言われますが、実際には似ていません。石器の尖頭器に似ているので、尖頭器のつもりで「玄翁(玄能)」と呼んだのではないか…

蛇骨石の名前の由来について

以前、産川の蛇骨石がなぜ、実際には似ていないそろばん玉や蛇の骨に似ていると言われるのか?という話を書きました。明確な根拠はないのですが、自分なりに仮説を考えてみました。 「蛇骨」と呼ばれたのは何かの骨に似ているからではなく、白い骨の破片のよ…

信濃公論

先日の立科町の五無斎展で信濃公論を見せて頂いたのですが、そのとき「おもちゃ用鉱物標本」に関する個人的な発見が二つありました。 一つは、「おもちゃ用鉱物標本説明」の「27 石灰華(前号続)」「28 石墨」「29 自然硫黄」があったことです。これらは「…

立科町文化展

立科町ふるさと交流館芦田宿の五無斎展を見てきました。文化展の一角に短冊、写真、資料、標本などが展示されています。11月4日(金)~6日(日)です。 「五無斎 保科百助全集」等の書籍で知ってはいても、実物やその写真を見る機会は少ないので、一つ一つ…

ウォーキング

先日見たリズミカルな感じのすじ雲(巻雲)です。飛行機雲もきれいでした。28日15:30 東南の空。 日曜日はウォーキングのイベントに参加しました。いつもは植物や石碑などを見ながらのろのろ進むのですが、雨になってしまい、ほとんど道草しませんでした。 …

文化祭

日曜日にローカルな文化祭をいくつか見て歩きました。 とっこ館秋祭りは駐車場がいっぱいになるほど盛況だったそうです。 館内には手塚自治会文化祭等の展示がありました。上田周辺で産出する鉱物の展示もありました。地元の蛇骨石、ちがい石、玉髄、その他…

長野県地学標本の寄付金の謎

「信濃漫遊旅費寄附人名簿」は保科百助の遺品の一つで、長野県地学標本製作に対する寄付を約束した金額、署名、および保科百助の書き込みのある書類です。 五無斎保科百助全集 569頁 信濃漫遊旅費寄附人名簿 金五十円也 中沢 照琳 精算はして見ざれども百円…

文化祭

塩田公民館の総合文化祭の展示を見てきました。絵画や手芸等の同好会の作品展です。自然や郷土史関係はありませんでした。 この時期さらにローカルな文化祭等のイベントがたくさんあります。なかなか面白いのですが、外部への案内はほとんどないので、自分で…

五無斎と井上円了

テレビで井上円了を紹介しているのを見たのですが、そう言えば保科百助が井上円了の講演会のことを書いていました。どの程度実情を知っていたかわかりませんが、「慾深坊主」「第一目的は金銭を貪り集むるにあり」「法師が集金方法は頗る巧妙なり」「七八十…

北御牧郷土資料館

北御牧郷土資料館のアケボノゾウ化石を見てきました。 火のアートフェスティバルに合わせて、8日、9日に開館しています。 展示室の解説パネルの額が新しくなっていました。 展示標本がどの位置の骨なのか、骨格図と見比べるのも面白いと思います。 専門家の…

シカの声

この頃、夜中にシカの大きな鳴き声が聞こえます。下のサイトによると「発情期オスジカが縄張りを主張するとき」の声だそうです。「フィーョーョー」を3回鳴いていました。続けて鳴くことはなく、数分から数十分置きでした。 奈良のシカの生態 http://naradee…

東御市のアケボノゾウ化石

写真は戸隠地質化石博物館のアケボノゾウ臼歯のレプリカです。採集時期は未確認です。 20年ほど前から発掘が続いている東御市のアケボノゾウ化石は北御牧郷土資料館に収蔵されていて、常時は開館していませんが、昨年同様、今年も「火のアートフェスティバル…

立科町ふるさと交流館芦田宿

先日、立科町のふるさと交流館芦田宿に行ってきました。ここには以前女神湖近くの立科町歴史民俗資料館にあった保科百助関連の資料が収蔵されています。今回は小学校の自由研究の展示会だったのですが、五無斎資料も見学できないかなと思い、行ってみたとこ…

戸隠の化石

戸隠地質化石博物館の「化石おみやげ(子供限定)」で見つけた小さな貝化石です。 博物館に展示してあった戸隠産のイタヤガイ科の標本です。 サドニシキ Chlamys foedus ヤマサキホタテ Mizuhopecten yamasakii シナノホタテ Mizuhopecten trybllum トクナガ…

戸隠地質化石博物館 「骨の動物園」

先月、戸隠地質化石博物館に行ってきました。が、時間がなくてじっくり見学できませんでした。貝化石や骨の展示をよく観察したかったのですが… また次回です。 次の企画展は保科百助です。 「保科五無斎 没後100年展」 2011年9月17日(土)~11月27日(日) …

よいかゝをほしな百首け

「よいかゝをほしな百首け」より、誤字脱字のあるもの、濁点が「全集」等と異なるもの。

よいかゝをほ志な百首け(続き)

緒言以外のテキストです。 「跋 此書を読みて次の如く評したる人あり」の内容は、親しい誰か(または本人)が書いた宣伝文でしょう。 狂歌は以下のように文節の末尾に「。」がありますが、ここでは削除しました。 其六十八。ふんどしを。洗ふ度ごと。おもふ…

よいかゝをほ志な百首け(続き)

この狂歌集を書いたきっかけ、自殺、戦争、自分の死、謝辞。 わかりにくいですが、人の醜さ小ささを知ることが自殺対策になると考えたようです。 日露交戦中に作ったという狂歌は、恣意的な解釈かもしれませんが、恋愛の熱狂と戦争の熱狂を重ね合わせている…

よいかゝをほ志な百首け(続き)

「コは失敗《しくじ》つたり」と感じて「無二の親友」(三村寿八郎)へ追加を書き送り、それが深志時報(明治39年4月第206号、207号)に掲載されたものの、反響はなかった、という下りです。 同じ内容を言葉を加えて詳しく書いています。前の文では簡潔すぎ…

よいかゝをほ志な百首け(続き)

保科塾時代に「無二の親友」(三村寿八郎)へ書き送ったという「ワイフ御周旋可被下候」の文章は、「大地主にても苦しからず候へども赤貧洗ふが如くにても宜敷御座候」のように両極端を書く形と、「年齢は成るべく若きを以て必要と致候」のように単純に書く…

よいかゝをほ志な百首け 自伝

保科百助の自己紹介・自伝の文章は「通俗滑稽信州地質学の話」「よいかゝをほ志な百首け」「岩石鉱物新案教授法」等で見ることができます。 「よいかゝをほ志な百首け」ではこんな言葉が並びます。「兄弟にさへも見限らるゝ」「而かも尻から一番なり」「朋輩…

終焉の記事

写真は津金寺の五無斎保科百助君碑の側面。煙嶺 吉村源太郎の書。 「岩石鉱物新案教授法」等にある歌です。 我死なば佐久の山部へ送るべし 焼いてなりともなまでなりとも ゆっくりと娑婆に暮してさてお出 わしは一足ちょっとお先へ 6月7日は保科百助の命日で…