塩田平ガイドマップ(17)

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生島足島神社摂社諏訪社本殿及び門」(県宝)です。

この諏訪社本殿は慶長15年(1610)、真田信之(1566-1658)の寄進で改築されました。真田昌幸(1547-1611)の死の前年になります。最晩年は病気がちだったそうで、信之は出来たばかりの社殿で父の回復も祈ったのかもしれません。

ちなみに、塩田平には真田信之が開基の龍昌院(保野)があります。創建は元和元年(1615)、大坂夏の陣真田信繁(幸村)(1570?-1615)が討ち死にした年です。信繁との関係はないのかもしれませんが、先の記事でも書いたように信繁の知行地があった塩田平で、亡くなった年に創建されたというのは、因縁めいた話ではあります。
大坂の陣の後、信之がこの寺を訪れたときには、信繁はじめ亡くなった縁のある人達のことを思わずにはいられなかったのではないでしょうか。


諏訪社改築の資料としては「工藤長七宛真田信之朱印状」「諏訪社本殿棟札」があります。
棟札によると本殿は山田郷の木一本で造ったとのことです。
『しおだ町報 第73号 昭和37年6月5日』紙上講座「塩田平のつきとけやき」には、「その木は現在の山田にあった槻の木だといわれている。その槻の木に、夕陽が照らすと木の影が山田から下ノ郷のお宮までとどいたというから、相当大きな木であったらしい。」とあります。
女神岳の麓から下之郷まで5kmあるので木の影が届くのは見られるでしょうか。山の影が届く様子は見ることができるのかも。

上田市文化財マップ 生島足島神社摂社諏訪社本殿及び門
http://museum.umic.ueda.nagano.jp/map/document/dot12.html

真田氏史料集(「真田信之」のページに朱印状と棟札の項目があります)
http://museum.umic.ueda.nagano.jp/sanada/siryo/sandai/frame.html


上田市立博物館編『真田氏史料集』117-118頁より

「工藤長七宛真田信之朱印状」

  定
拾五貫文  下郷本願分
右の地下郷明神造営の為、預け
置き候。毎年修理の入目、奉行に対し
明細に算用致さるべく候。猶、土佐守
喜左衛門申すべく候。仍って件の如し。
 慶長十三申六月十三日  信幸(朱印)
   工藤長七殿


「諏訪社本殿棟札」

(表墨書銘)

一切日皆善、一切宿皆賢、諸佛皆威徳
羅漢皆断漏 以此誠實言 願我成吉祥矣、

當社再興之事、真田伊豆守信幸公、廿貫文御竒(寄)進、
依之令造立之、材木取山田之郷(小縣郡)、木一本ニ而令皆調者也、本願ノ志
神主工藤長七郎、神慮之以励、再興ト号、入目ハ五百俵、大工テマ
八百人入者也、然者飯島宗心繩乗公、請誠御取モトメ、番匠一切
之入目指引、肝煎如此也、依現當二世願望無疑者也、野僧俊翁造
畢之、迎(近カ)日六種之供具調、郷中貴賤男女積善之余慶、以内界外界
郡(群)生一味之法雨、速到密嚴國土者也、

大工 宮坂勘四郎
(人偏に巧)工當餘者
       助之丞
 平尾與助
   加之大工
     清水清右衞門

(裏墨書銘)

于時慶長十五年 庚戌 三月三日  敬白