地名の話

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長野大学が発行している『塩田平ため池ニュースレター』(2017年2月)に前山(まえやま)の地名の由来の話題がありました。風水思想に関連付けた仮説でとてもおもしろかったです。

塩田平の平坦地から見ると前山は一段高い段丘上の傾斜地で、「前の山」は見たままの表現という気がします。上の写真左側の沢の東(左)が前山寺・塔の原、沢の西側が塩田城跡、写真右側の沢は龍光院や独鈷山風穴がある沢。
他には厩山(まややま)の変化かもという話を聞いたことがあります。

前山の地名について考えるとき忘れることができないのは前山寺(ぜんさんじ)です。地名と寺名が同じ場合、寺名が先であることが多いのではないでしょうか。ただ、例えば、通称が地名由来の前山寺(まえやまでら)で、寺を再興するときになかなか良い名前だからその名前を引き継いだ、というようなシナリオもなくはないかも。

ちなみに地名と表記が同じで読みが違うものといえば武石(ブセキ)がありますが、これはたぶん江戸時代の弄石家が村名を石の名前だと間違えたことが始まりではないかと思います。武石(たけし)の地名を知っている人達が、漢字だけでは区別できないような面倒でややこしい名付けをするとはどうも思えないです。地元には幕末から明治始めの頃に入ってきたのではないでしょうか。
(「武」は武州武蔵国。埼玉、東京、神奈川の一部)の略でもあったので、ブセキを武州の石だと思っていた人もいたかも。)
(ブセキの話とは別に、武石(たけし)の地名の由来が産出する黄鉄鉱・褐鉄鉱だったという可能性はあるとは思います。)

不思議な地名はたくさんあります。
「八木沢」も湯川の他には大きな沢がある地区ではないのになぜか沢の名前が付いていて不思議です。
文字通りなら木が多い沢というような意味で、むしろ別所地区の方が似つかわしいような。
もしかしたら、元々は湯川上流部全体を八木沢と呼んでいたのが、平安時代山麓地域が「別所」(寺院の私領)として分離、下方の水田を中心とする地域だけを引き続き八木沢と呼ぶようになったのかも。