コレクションと欲深さ

先日ある方から地質標本を頂きました。以前からお話は聞いていて、一時お預かりするつもりで受け取りました。標本の方が人より長生きなので、誰もいつかは手放すことになります。残し方を考えたいです。

良いコレクションを持っていてもあまり満足できなくなった、という話も聞きました。さらに「良い標本を持っていますね」という言葉に、賞賛、羨望の他に軽蔑もあるように感じてしまうとのこと。(強欲な人、汚い採集をしている人、という目で見られる。)愛好家、マニアに対して否定的な雰囲気があるせいでしょうか。

しかし、コレクションはその人の欲深さを表す、ということはあるのかもしれませんが、それが人間なので、あまり否定しない方が良いのではないでしょうか。自分が好きなもの、好きなことは大切にしたいです。



もう一つ、地質標本について思い出した言葉ですが、
「フィールドが主、標本が従」と「標本が主、フィールドが従」
(「フィールド」は露頭やその地域の地質というような意味でした。)

標本箱にフィールドは持ち込めませんし、博物館でも簡単ではないでしょう。採集者は産状を知っていても、標本を見るだけの人にはわかりません。「大きい」「きれい」「珍しい」という見方しかしてもらえないことも多いです。結果的に「標本が主」になっていたりします。
最初から標本の方に興味の中心がある人も少なくありません。
ある場所の地質の話題を出したら、標本の良し悪しの話が返ってくる、ということもしばしばです。むしろ「標本が主」の人の方が多いのかもしれません。