立科町の信州産岩石鉱物標本(第二次長野県地学標本)

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立科町の五無斎資料の岩石鉱物標本について。
以下の説明書きがありました。

 資料名「長野県産 鉱物岩石標本」
 説明「明治三十六年十月 県下各学校に寄贈 岩石八十一種 鉱物三十九種」

「岩石八十一種 鉱物三十九種」というのは「地学標本売出に関する説明書」(信濃公論19号 明治42年3月10日)にある数字です。明治36年「長野県地学標本」(243標本)の数字ではありません。なお「地学標本売出に関する説明書」の後、実際に製作された標本では 岩石83、鉱物(褐炭・石油を含む)36、石鏃1 に変更されています。

展示標本の大部分は明治42年「信州産岩石鉱物標本」(第二次長野県地学標本)のものでした。
(「信州産岩石鉱物標本」は正式な名称かわかりません。製作当時から様々に呼ばれていて、名称の入った標本箱が確認されていないようです。この標本の説明書として出版された「信州産岩石鉱物標本説明書」から「信州産岩石鉱物標本」と呼ばれたり、「第二次長野県地学標本」と呼ばれたりします。)

91標本中、信州産岩石鉱物標本(明治42年)のものが84(その内、標本番号ラベルが確認できたもの33、ラベルがなく未確定なもの51)、長野県地学標本(明治36年)のものが7。

写真の朱文字で28と書かれた標本は、ラベルは汚れて判読できませんでした。「28 粘板岩 東筑摩郡塩尻村」「29 雲母粘板岩 上伊那郡伊那町」のどちらかではないかと思います。

朱文字で42と書かれた標本は、ラベルは43です。
「43 裾花凝灰岩 上水内郡旭山」

朱文字で83と書かれた標本は、ラベルも83です。
「83 火成岩の板状節理 諏訪郡上諏訪町」
薄い朱文字で「板面」(上下逆)と書かれているように見えます。
朱文字の標本番号はラベルと一致しないものがあるので、後になって記入されたものだと思います。染谷丘高校の標本にはこの番号はありませんでした。薄い朱文字の書き込みは標本番号とは別の時期のものかもしれません。

最後の写真の標本は長野県地学標本(明治36年)のものです。
標本番号ラベルが茶色の枠で手書きであること、標本が少し小さいことで判別できます。(紙箱が長野県地学標本は 7.5x4.8cm 信州産岩石鉱物標本は 10x7.5cm)
長野県地学標本の「83 安緑岩 和田峠西麓」だと思います。

「信州産岩石鉱物標本」(第二次長野県地学標本)は標本の目録はわかっていますが、実物の所在の情報はあまりありません。他には松本、飯田にあるそうです。さらに発見が進むと良いのですが。