薬としての蛇骨

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ネットを検索していたところ、江戸時代の「眼目精要」(享保11年(1726)藤井見隆(1689-1759)著)という本に「蛇骨散 目赤く爛るを治す」という記載があるそうです。

もし薬の蛇骨が広く知られていたのであれば、産川の蛇骨石の語源が薬の蛇骨である可能性も十分考えられますね。成分は異なりますが、同じものかもしれないと思う人がいても不思議ではありません。

また、産川沿いにも温泉・鉱泉があり、湯の花も見られたはずなので、それと沸石と薬の蛇骨が同一視されたという可能性もあると思います。
蛇骨石の伝説のある鞍が淵にも温泉がありました。今、鞍が淵の説明板が立っている辺りは昔の建物の跡です。
沢山・鞍が淵の温泉と薬の蛇骨が、産川の「蛇骨石」の本当の由来かもしれないのです。

写真は産川の川岸から出ている鉱泉、鞍が淵の温泉宿の跡、その他、産川の様子です。