塩田平ガイドマップ(11)

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五加八幡社の石燈篭(明治十四年三月起工、三十一年五月竣工 市指定文化財)と八幡社改修記念碑(昭和57年)です。石燈籠の「修善生洪福」は勝海舟(1823-1899)の揮毫。改修記念碑の文字は佐久間象山(1811-1864) が文久2年(1862)に揮毫した五反幟(約12m×1.66m 市指定文化財)から写したものです。

五加洪福村 ごか こうふくそん
八縣朙禋祠 やあがた めいいん の し
玄黓淹茂 三月 げんよく えんも(えんぼう) さんがつ
象山平啔(啓)書 しょうざん たいらの ひらき しょ
(落款) 啓又大星 ひらき また たいせい

「洪福村」は大きな幸せの村。
「八縣」は祭神の八縣宿祢命(やあがたのすくねのみこと)のこと。
「朙」は明、「禋」は火を焚いて清め祭ること。 八縣の神の盛大なお祭り、盛大にお祭りする社というような意味でしょうか。(「八縣宿祢命」と「八縣朙禋祠」の読みは八幡社の現地説明板に従いました)
「玄黓」は壬、「淹茂」は戌(太歳紀年法)。壬戌(みずのえいぬ)の年(文久2年 1862)の3月。(「黓」は「墨」に見えるのですが、下部は「弋」を崩したものかそれに代わる字ということでしょうか)
「象山」は号、「平」は平氏、「啓」「大星」は象山の名前。

白黒写真は『五加の歴史』(1982)より、勝海舟の書「修善生洪福 応需 海舟勝安芳書」(106頁)、五反幟についての当時の五加村の記録(104頁)、山岡鉄舟(1836-1888)の書「縣社 八幡大神 正四位山岡鐵太郎書」(85頁)です。もし山岡鉄舟の石碑もできたら、幕末・明治の著名人の書を3つ見られる所になりますね。

五反幟についての記録(一部)
氏神八幡宮拝殿八縣神社前の幟数年の春秋を経て破損す
爰に文久壬戌三月再建の切を起し書を佐久間象山に乞う
先生諾して二句十字を書す 即ち五加洪福村 八縣明禋祠
之をして永く世に伝へんことを欲し年月及び当務諸員の姓名を記し
後人の勉めて保護あらんことを希望す