上田城から見た太郎山

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上田城の南櫓下(尼が淵)から見た太郎山です。
右の峯が高く見えますが、左が山頂のようです。デジカメのズームで右の峯に太郎山神社の建物が見えました。

太郎山の岩石は緑色凝灰岩の他に流紋岩等があって、柱状節理のものが石材としても知られています。天狗岩、天狗石、六方石、六角石等と呼ばれています。

上野尚志『信濃国小県郡年表』(明治17年 1884) 活字本6頁より

○長角石
上田の北半里なる眉見林に(註方今鎌原村に隷す)山沢の両岸に六角或は四角にして長形なる樺白色の重量石あり 其の大なるは長さ丈余、周り四五尺なるが簇々斜畳併列す
俗に天狗岩と云、蓋上古の化石なるべし。今或は運輸し庭前の粧石とす。
然れども其地たる狭隘嶮岨なるを以て未だ奇巧の状を尽す能はず、蓋奥州材木石と髣髴す。故に其記文を左に挙げ探奇の士の参考とす。
(以下略)


この文章を読むと、上野尚志は柱状節理の露頭を実際に見ていたようですね。

天狗岩という呼び名は、もしかしたら、元々天狗神を祀った特定の岩場を指していたのが(天狗岩と呼ばれる岩は各地にあります)、石の名前としても使われるようになったのかも。
宮坂武男『信濃の山城と館(3) 上田・小県編』(2013) 246頁「113、眉見林の城」の地図に「天狗岩」の名前がありました。(出典はわかりませんでした。)


上田城では上田招魂社の境内の南東隅に、以前使われていた石材が何本か置いてありました。上田創造館で展示されているのはその中の一本とのこと。(一番下の左の写真。右は『上田市誌 上田の地質と土壌』(2002) 33頁より、太郎山の流紋岩露頭)


ところで、NHK真田丸」はまだまだ天正10年ですね。初回の浅間山噴火から半年。次回(第9回)まで天正10年でしょうか。

天正10年
2月14日 浅間山噴火?
3月11日 武田家滅亡
6月2日 本能寺の変
6月 上杉・徳川・北条の信濃侵攻
7月 上杉・北条の講和
10月 徳川・北条の講和


春日信達の謀殺の話は意味がよくわかりませんでした。上杉・北条の講和に繋がる理由がないような…
調略が発覚して失敗するのは、調略を多用する真田昌幸にとっては小さくない損失だったはずで、それを上回るメリットがあったのか、不明でした。