雌鶏岩、雄鶏岩

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塩田平ガイドブックに雌鶏岩として載っている岩を見てきました。
ガイドマップの一本道は実際にはまったく違っていて、戸惑いましたが、探したらすぐに見つかりました。
大きさは幅が2m余り。『信州の鎌倉 塩田平の民話』(1993)に「その大きさは小山ほどもあります」とありましたが、そこまで大きくはないので、本当に雌鶏岩なのかちょっと不安…
石は一帯に分布しているデイサイト~流紋岩でした。(1枚目の写真)

この岩の東側の沢の対岸に岩の峰が見えます。(南東約100m) カメラでズームして見たら同じような注連縄が掛けてありました。(2枚目の写真)
これが雄鶏岩かもしれませんが、ガイドマップでは雌鶏岩と同じ林道沿いのずっと南側になっているので、違うのかもしれません。実はこの峰が雌鶏岩で雄鶏岩はまた別にあるとか?

この峰には割れた岩が乗っていて、落ちないようにワイヤーで岩に繋いでありました。(3枚目の写真) (この岩もデイサイト~流紋岩で、柱状節理があります。割れるときは割れるでしょう。どんな岩でも同じことですが)

もしもこの峰が鶏岩だとすると、伝説は、吉沢城を攻めている敵勢が、側面または背後で大きな音がしたため驚き怯んだ、という意味の話なのでしょうか。

ガイドマップの雄鶏岩の位置も探してみたのですが、わかりませんでした。林道沿いに水平方向の柱状節理の岩がありました。(4枚目の写真)

ちなみに、明治25年~32年、石神に生糸揚返し場があり「鶏石社」と呼んだそうです。(『ふるさと塩田 村々の歴史 第一集』(1987) 100頁) この名前も鶏岩・鶏岩の卵に由来しているのかも。