保科百助以前 明治13年 博物館列品目録

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別所層の木の葉の化石。「長野県小県郡鉱物標本目録」の「木ノ葉石」もこんな標本だったのでしょうか。

「博物館列品目録」(明治13年)を見ると、小県郡で魚骨石以外には、

黄硫鉄鉱 信濃小県郡武石村 方言 ヲドメイシ又ブセキ 明治十年七月 長野県下ヨリ購求

岩石類
信濃小県郡手塚村 方言 誓石 澳

植物化石類
信濃小県郡泉村 木葉石 澳

沸石類は見当たりませんが、明治24年の「帝国博物館天産部金石岩石及化石標本目録」(西 松二郎編)には「トムソン滾石」として載っているので、それほど遅くなく、収集されていたのではないかと思います。ちなみに、保科百助を紹介した比企忠「信濃小県郡鉱石産地概況」(明治29年)の「西理学士はトムソン沸石と鑑定せられたりと雖ども」はこの目録の標本のことかも。

木葉石」(このはいし)は雲根志にも載っていますし、もっと以前から各地にあった呼び名でしょうね。標本や図が残っていれば、昔の人が何をどのように見ていたのか、推測もできると思うのですが、記録が少なく、名前だけでは難しいです…
化石の入った頁岩で硯を作ったという話も聞いていますが、不勉強で詳細は知りません。
観光案内を読んで想像・連想してしまうのではなく、できるだけ現実に近い事柄を多く知ることが大切。