弘法石の謎

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弘法石の話はあまり知られていないかもしれません。この話は「日本伝説叢書 信濃の巻」にあるのですが、他の伝承に関する本ではほとんど見られません。

藤沢衛彦「日本伝説叢書 信濃の巻」大正6年(1917)
334ページ
弘法石《こうばふいし》[上田地方七不思議第六](小県郡西塩田村大字前山)
弘法石と言って、上田地方七不思議の一つに数へられてゐるものは、西塩田村大字前山(上田町の南方二里。)の塔の原で見出される石で、其《その》石には、名筆で、文字が書かれてある。昔、弘法大師が、此《この》土地に滞在してゐた折、習字をしたものだと言はれてゐる。


ちがい石・誓い石の伝説とは内容が異なりますし、ちがい石の母岩の流紋岩のことかどうかもはっきりしません。上の写真は保科百助「長野県地学標本」にある、ちがい石の母岩の流紋岩です。文字が書いてあるように見えるでしょうか。

藤沢衛彦は「ぬらりひょん」の設定創作等の疑惑でも知られています。少しでもそういうことがあると、どれもこれも疑わしく感じられてしまいます…

ちがい石・誓い石の伝説は以下のようなものです。

「長野県町村誌 手塚村」 明治15年(1882)
茲に十字形の石出るあり、空海之を衆に与へ誓て曰く、若能く之を携帯する者は、災厄を免ると。爾後該石多く此に生す。因て之を名けて誓石と云ふ。

「長野県町村誌 前山村」 明治14年(1881)
又奇異の石あり、其形ち十文字の如し。不思議なるかな、弘法大師居住せし、岩屋より時々産出す。諸民是を仰て違石と称す。
此石霊徳ありと云。今に厳然として信者多し。

上野尚志「信濃国小県郡年表」 明治17年(1884)
27ページ
爰等里人談云。此山よりちがひ石出る白くして細さ米粒二つ継たる程にて少し長く両端剣形なりより揃ひて皆打違いはなれず。