弘法石と多字一石経

イメージ 1

写真は上田市信濃国分寺資料館編「鎌倉の古代・中世文化と上田地方」(2008)より、手塚東紺屋村経塚の
経石です。一つの石に経文を複数文字書いたものなので多字一石経と言います。昭和53年(1978)、このような石が2762点出土しました。
「長野県町村誌 手塚村」(1882)には、山寺の跡から一字一石経が見つかることが書いてあります。また、前山寺では寛政10年(1798)、一字一石経を納めた宝篋印塔が建てられたそうです。

「日本伝説叢書 信濃の巻」の弘法石の伝説も、内容から考えると、多字一石経か一字一石経が見つかった話として解釈できると思います。著者もそのように解釈していた可能性が高いのではないでしょうか。