よいかゝをほ志な百首け(続き)

保科塾時代に「無二の親友」(三村寿八郎)へ書き送ったという「ワイフ御周旋可被下候」の文章は、「大地主にても苦しからず候へども赤貧洗ふが如くにても宜敷御座候」のように両極端を書く形と、「年齢は成るべく若きを以て必要と致候」のように単純に書く形があり、前者は門閥、財産、学力、体格、後者は年齢、品行、容姿、才器、口数。外面より内面を重視するという体裁になっています。
書き方が面白い一方、内容は、現代の感覚では差別的ですが、当時(明治39年)としては奇抜というほどでもないのかも。「コは失敗《しくじ》つたり」と感じたのはどの部分なのでしょう。


よいかゝをほ志な百首け(緒言の続き)

  ◎保科五無斎妻君の品定め
 五無斎と云へば長野県下は愚か日本切ての大の奇人で嘗ては読売新聞日本奇人百人募集中で第一等にぬけ彼を書きたるものは百円の賞与を得たとかの果報もの併《しか》も鉱物の研究と来ては信州彼の右に出づるものなく其多年高山を洽く跋渉し採集したるものも県下有数の学校及帝国大学へ悉皆挙げて寄贈し今は長野市の部落妻科《つまなし》に保科塾を建て青年教育と御得意の諧謔諷刺を以つて相も変らず土炎《つちけむり》を巻き散らし居るが近来何思ひけん迎妻の情頻々にて当地の知人某に妻君の品定めをものし周旋方を懇々依頼し来りたるが年頃の女子を持ちたる親達の参考ともなりぬれば左に

      ワイフ御周旋可被下《くださるべく》候。
一、門閥《もんばつ》は第一流にても差支《さしつかへ》無之《これなく》候へ共中《ちゆう》若《もし》くは下《げ》にても宜敷御座候。
一、財産は大地主にても苦しからず候へども赤貧洗ふが如くにても宜敷御座候。仮令《たとへ》数百万の財産ありとするも持参金ならねば聊《いささ》かも当方に益なくヨシ赤貧洗ふが如くなりとするも厄介を当方へ持ち込まねば夫《それ》にて宜敷候。
一、年齢は成るべく若きを以て必要と致候、二十四五歳以下十歳以上にて適宜御撰択願上候。
一、品行は頗る端正なる方《かた》にて○○○を濫用せぬ初婚者に限り申候。
一、容姿は格別々品《かくべつべつぴん》なるを要せずと雖一見不快の感を起さぬ様なること肝要に御座候、愛嬌たッぷり二重まぶち両笑凹《りやうゑくぼ》は頗る必要なる條件に御座候。
一、学力は女子高等師範学校女子大学若《もし》くは田舎の師範学校高等女学校位にても差支無之候へ共高等小学校若くは尋常小学校位にても苦しからず候。
一、才器は寧ろなき方安全に御座候。女子の才子と来ては少しく閉口致し候。寧ろウスノロジストの方《かた》可然《しかるべく》と存じ候。
一、体格は二王様をまかすやうにて苦しからず候へども又豆粒大にても宜敷候、何れにしても肥満し居《を》る方《かた》可然骨と皮許りにてつくりたるが如きは断じて不可に御座候。
一、婦人の饒舌《おしやべり》は何時も小生の不用とする処に御座候、寧ろ唖《おツち》娘《むすめ》にても宜敷御座候。宿《やど》では/\と言ふて小生の法螺の上塗りをせらるゝも難有《ありがた》くなく。
  うちのやどろく
  酒ばかのんで
  愚図《ぐづ》で鈍馬《とんま》で
  糸瓜《へちま》で野暮《やぼ》で
  其癖アタイニ
  帯もたすきも
  買うては呉れず
  ホンニショ事が
  ないわいな
など来客の前にて棚卸《たなおろし》をされては実に恐入可申《おそれいりまをすべく》候。返す/\も口数の少なきこと肝要に御座候。
要之《これをえうするに》上等ワイフに候はゞ下女こまづかひを添へ家鴨《あひる》蒲団《ぶとん》の上に安置し奉る可しと雖若《も》し下等ワイフに候はば下女働きを申付くる筈に御座候。(明治三十九年三月二十四日発行深志時報第二〇三号所載)
と。コは失敗《しくじ》つたり新聞紙などに出して貰ふとすれば又何とか書きやうもあらんと。