上田のカラスが減少したという話

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地元の民話について調べていたら、松谷みよ子「民話の世界」(1974, 2005) に、太平洋戦争末期、上田でカラスが減少したという話が載っていました。昭和31年(1956)に上田で聞いた話とのことです。

松谷みよ子「民話の世界」(2005) 194頁

とむらいにいった烏
 戦争についての現代の民話も多い。
 信州の上田は、昔から烏の名所だったという。いま信越線で上田あたりを通ると、果樹園に点々と真黒な烏が止っているのを見ることができるが、この烏が太平洋戦争も末期になると、烏のカの字も見当らんようになってしまった。町の人たちが不思議がって、「上田の烏てば大したもんだったに、へえ、どこへ行っちまったずら」というと、ひとりの爺さまが、「南方で兵隊さんがたくさん戦死しなしたもんな、烏は南方へおとむらいに行ったんださ」そういったと。
 たったこれだけの話である。しかし何という哀切きわまる話だろうか。 (中略) 南方で戦死したと聞けば、飛んでも行きたい、せめてその土地の土くれでもいい、握りしめたいと思うのが骨肉の情である。それができない。その思いを黒い衣を着たような鳥に託して語ったのである。おそらく無意識に。


この文章を読むと、方言が上田の方言らしくないので、もしかしたら他の地方(佐久、諏訪など)の人が語っていた話かもしれません。カラス肉を使った「ロウソク焼き」で有名だったので上田が舞台に設定されたのかも。採話記録がないので何とも言えませんが。

いくつか疑問に思うことがありました。1つは、カラスの生息数がいつどこでどのように変化したのか、ということです。
カラスはいつも同じ場所にいるわけではなく、例えば、食べる物のない冬の田畑にはほとんどいません。減少に気付いたということは、春から秋の間の、例年ならたくさんいるはずの時期・場所で、長期間、姿が見えなかったということでしょうか。
残念ながら記録についてはまったくわかりません。新聞記事や個人の日記等に書かれている可能性もあります。
戦後、GHQが日本の野生動物の調査を行い、生息数減少の報告があったそうです。

山階芳麿 私の履歴書 第19回 鳥類保護(上)
GHQにより夢かなう 定着した「バード・ウイーク」
http://www.yamashina.or.jp/hp/yomimono/rirekisho/rirekisho19.html


2つ目の疑問は、カラスの減少の原因は何だったのか、ということです。
これは簡単にわかることではありませんが、一つの可能性として、乱獲が考えられます。食糧不足のために野鳥全般に採集圧力がかかることはあったと思います。それを避けて移動する鳥がいたかもしれません。

上田はカラスを食用にすることで知られていたので、この話の初期の語り手も、減少の原因としては乱獲を想定していたかもしれません。カラス肉を使った「ロウソク焼き」を食べながらこの話をしていたとすれば、ブラックジョークのようにも感じられます。
生き物を殺して食べることを隠語で「法事」とも言います。例えば「最近カラスが減ったなあ」「法事に行ったんじゃないか」という会話は、獲って食べた話としても解釈できます。「とむらいにいった烏」の話も、始まりはこうした日常的なジョークの中から生まれたのかもしれません。それが、いつの頃か、死者を悼む話に読み替えられ、脚色され、伝えられたのかもしれません。

カラスの減少の原因として浅間山の噴火も考えられます。
国土交通省浅間山火山防災マップ」にある噴火回数のグラフを見ると、昭和16年17年、19年20年に多くの噴火があったことがわかります。(上の画像)
噴火の影響で野生動物が移動したことは充分あり得ると思います。

3つ目の疑問は、この話がどのように生まれてきたのか、ということです。
「民話の世界」では、人の思いに焦点を当てていて、カラスが減少した事象そのものに対しては無関心です。カラスの減少はすでに、現実の出来事としてではなく、物語の中の出来事として意識されているのでしょう。
カラスの減少に気付いた人は、現実的な理由(乱獲、火山の噴火・降灰の影響など)を思い付いたのではないでしょうか。そのような人が「とむらいにいった」という非現実的な理由付けを発想したり、受け入れることは難しいと思うのです。

出来事から民話が生まれるには、記憶の風化・変質が必要なのかもしれません。
個人なら一晩で記憶が風化・変質するという人はたくさんいます。そういう人たちが幻想の最初の語り手や証人になることはあるでしょう。しかし、幻想が広く受け入れられるためには、多くの人が現実的な考察から離れ、非現実的な幻想の中の出来事として事象を意識することが必要で、それには記憶の風化とそのための時間が必要になると思います。
また、同じ理由から、出来事を記憶する人たちがいない場所で先に物語が成立することもあるのではないかと思います。

最近で言えば、震災でのことも、今後時間が経つとともに、様々な場所で、幻想が作り出され、意図を持って伝えられ、受け入れられて行くのかもしれません。


ところで、ロウソク焼きは戦後衰退したものの、最近まで残っていたと聞いたことがあります。昭和22年(1947)にカスミ網を使った狩猟を禁止する法律ができ、その後も規制が強化されて行きました。狩猟の規制がロウソク焼きの衰退の原因ではないでしょうか。
とむらいにいった烏の話が、ロウソク焼き衰退の由来話になっていることもあるようですが、事実かどうかは疑問です。この由来話は昔からの食文化の保護・継承には障害になる可能性があります。最後の息の根を止めることになるかもしれません。