産川・蛇骨石の名前の由来と小泉小太郎

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今、小泉小太郎の物語と言われている話は、小山真夫「小県郡民譚集」「小県郡史」にある話が元になっています。それ以前の明治初めの前山村誌・手塚村誌の鞍が淵伝説では小泉小太郎はほとんど登場しません。この伝説は最初は小泉小太郎とはまったく無関係だった可能性もあると思います。

また、この伝説は蛇と結婚する三輪山型伝説の一種と言われますが、確かに形はそうですが、話の主題はそこにはないような気がします。この話の主題は、産川と蛇骨石の名前の由来ではないでしょうか。名前の由来を説明する話として三輪山型伝説が導入され、その延長で小泉小太郎や泉小太郎に結び付いて行った、とも考えられないでしょうか。

蛇骨石の名前が生まれた時期についてはわかりませんが、雲根志 前編(1773)以降かもしれないと思っています。もしそうであれば、蛇骨石の名前の由来話もそれ以降ということになります。

一方、産川の名前は上田藩村明細帳(1706)にあり、また字名としても残っているので、古くからあったのではないかと思います。
明治初期の絵地図を見ると、下之条、富士山、中野、野倉に字産川があります。(見落としがあるかもしれません。)
上の画像は下之条と野倉の絵図です。
ちなみに、野倉の手塚境(現在の沢山池の堰堤付近)に「字湯川原」がありますが、鉱泉があり宿もあった所です。沢山池が出来たときに宿は鞍が淵に移転しましたが、戦争のため続けられなくなり、廃業したそうです。

鞍が淵の三輪山型伝説が江戸時代後期のものだと仮定すると、それ以前には別の産川の由来話があった可能性が高いのですが、今のところ一つも見つかっていません。


現代の伝説捏造の事例です。
日本遺産用に脚色した、地域の実情に合わない創作民話を、郷土史の本や現地の案内看板を無視して、昔からの伝説として SNS で宣伝…
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html