いろは五無斎(続き)

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「い」と「さ」の歌を替えてみました。
い 筆を買へ又墨をかへ左なくては 五無斎遂にうゑやしぬらむ
さ 我法螺は吹くとも尽きじ信濃なる 浅間の嶽はふき尽すとも(評)

「君と予」は誰でも思いつくような替え歌であること、また、子供が元歌より先に替え歌を覚えるのもどうかと思ったので。
「さて其次は七無さい」は失明が題材でカルタには不向きかと思いました。
「五無斎遂に」は好きというわけではないですが、この歌を書いた筆売りの大きな看板(掛け軸)が残っているので。
「浅間の嶽」は浅間山や立科山の歌も入れてみたかったので。

「酒」の歌等もありますが何となく気乗りはせず。

空辞儀をしたるももりに勧められ 酒をほしなが呑酒百杯
おいやなら御出懸あるな此方は 酒は好きだがもちはいや/\
つまらなし あらつまらなし つまらなし 酒をバステテ僕は帰らう(評)
月見には山よし川よし座敷よし 酒さえあれば見なくてもよし(詩)
此のまゝで若しやの事もあるならば 賽の河原で石を拾はん(通)

世の中はいやだやだやだいやだやだ いやと言ふのもいやだやだやだ(評)
これは/\ よい婿さまを お貰ひで そこで酒田もはなの高むら(評)


1枚目の写真は「あの雲を鏡台山になぞらへて隠れし月を待ちもこそすれ」等の書かれた手紙です。(『五無斎保科百助全集』555頁)
「此下の句は或る人のつけしなり」とあるのですが「或る人」とは素性法師(「今宵来む人には逢はじ七夕の久しきほどに待ちもこそすれ」)のことなのか、同席の他の人のことなのか、はっきりしません。他の人が詠んだという意味であれば、五無斎作の狂歌というわけではないのかもしれません。

 あの雲の中へ隠れたるところよめと収入役の言ふ
 あの雲を鏡台山になぞらへて
  隠れし月を待ちもこそすれ
 此下の句は或る人のつけしなり中々の名作なり予は再ひ月のΛのやうなる雲の上に出でたるとき
 あの雲を鏡台山になそらへて
  今宵は此處で月見しのゝゐ


『売上帳』等には他の人の狂歌も載っていて、うっかりするとそれらを保科百助作と間違えます。