松脂採取痕跡松

松脂採取跡

松脂採取跡(拡大)

松脂採取グラフ

松脂採取(米国)

上田市 東山の松脂採取痕跡松です。教育委員会の案内板では戦争末期の増産計画と関連付けていましたが(なぜか松根油に触れていません。混同している?)、そのときの採取跡がどれなのか、わかりませんでした。

案内板の近くの7本を見ると、4種類の痕跡がありました。
(1)斜溝は細く、間隔1.5cm前後。採取範囲は縦長。位置により傾斜が異なり下部が急。(2本)
(2)斜溝は太く、間隔1.5cm前後。採取範囲は縦長。位置により傾斜が異なり下部が急。(2本)
(案内板の写真のタイプ。最下部に細い斜溝が残る)
(3)斜溝は細く、間隔3cm前後。採取範囲は縦に短い。(2本)
(4)水平の溝。(後からのものか? 最下部に斜溝が1本残る)採取範囲は縦長。(1本)

何回か、異なる時期に採取されたように見えます。
細い溝は鋸、太い溝は鉋(漆掻き用?)を使用か?

一番下の画像は大正時代の米国での松脂採取の様子です。(wikipediaより)
日本は戦中・戦後の一時期を除き、産業用の松脂の大部分を輸入に頼って来ました。
こうして採取された松脂が現在まで日本の産業を支えて来たのです。


松脂の生産量について少し調べてみました。(グラフの画像。昭和25年の参議院答弁書より)

近代になって工業用に松脂が必要になりましたが(製紙、石鹸、塗料、電線、医薬、レコード等)、日本は大部分を輸入(主に米国)に頼りました。技術が未熟で、国産では採算を取るのが難しかったようです。
昭和12年日中戦争が始まると輸入は制限され半分以下に減少し、16年の対英米開戦でさらに激減しました。当時の新聞を見ると、昭和9年頃から松脂の国産化が活発に進められていたことがわかります。しかし、開戦前の輸入量には全く及ばず、供給不足だったと思われます。
戦争末期の昭和19年10月~20年には航空機燃料用に松根油(古い松の根が原料)の大増産が行われました。
昭和20年には松脂も燃料用に増産が計画されましたが、ほどなく戦争は終わりました。数値を見る限りでは、松脂の国内生産量は昭和16年から終戦まで増加傾向ですが、松根油のような大幅な増産は見られません。

戦後、松脂の国内生産量は一旦減少したものの、昭和23年には戦時並みに戻り、24年にはさらに倍増しています。
しかし、その後、国内生産は減少し(昭和31年には輸入2万トン、国産2千トン)、今も輸入に頼っています。
近年のロジン輸入は10万~5万トン程。(中国(7割)、インドネシアベトナム、ブラジル等。価格は高騰、輸入量は減少、金額は増加)


松脂は多くの工業製品に必要な重要資源です。松脂採取痕跡松は、戦時中の痕跡であると同時に、資源の国産化に取り組んだ、昭和の産業と戦後復興の痕跡でもあるのではないでしょうか。


パインケミカル
https://www.harima.co.jp/pine_chemicals/index.html
ロジンの市場および開発動向
https://www.harima.co.jp/randd/release/pine_chemicals.html
http://www.harima.co.jp/images/uploads/20080425224426_ea7d26277156d53ec7d8aa67962e983b.pdf


生松脂採取の促進に関する質問主意書(昭和25年7月12日)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/008/syuh/s008001.htm

参議院議員三好始君提出生松脂採取の促進に関する質問に対する答弁書(昭和25年7月18日)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/008/touh/t008001.htm


朝日新聞 1945年8月4日(昭和20)
「とらう松脂、決戦の燃料へ」
簡単に出来る良質油 本土到るところに宝庫あり

航空戦力の増強に重要な役割を果す液体燃料の飛躍的増産を目指しこんど政府では液体燃料増産推進本部を設置して航空燃料の緊急確保をはかることになったが、航空機の食糧ともいふべきガソリン補給の遅速が直接本土決戦の勝敗を左右する現段階に対処し、陸軍燃料廠本部では簡易な処理方法によって優秀な航空燃料が得られる生松脂の生産を新たに採上げ、学童を動員して緊急増産に拍車をかける一方、一般国民に呼掛けて本格的増産運動を展開することになった、原油の南方依存が困難になった現在、アルコール、松根油等の国内増産はます/\重要性を加へてゐるが、簡単な作業で誰にも容易に作れる生松脂はかけがへのない特攻機の優秀燃料として、総力を挙げてその増産を助長しなければならない、


神戸大学附属図書館 新聞記事文庫
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

神戸新聞 1921.9.17(大正10)
松脂取引擡頭気勢 入船毎に約千樽の入着 本年度中の輸入減少理由
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10075869&TYPE=HTML_FILE&POS=1

時事新報 1934.6.15(昭和9)
輸入のみに頼った『松脂』の国産化実現 農林省林業試験場辻技師の貴重なる研究完成
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00213098&TYPE=HTML_FILE&POS=1

時事新報 1934.7.27(昭和9)
松脂と漆経営山村に復興 千葉と群馬県が奨励
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10075838&TYPE=HTML_FILE&POS=1

時事新報 1935.6.6(昭和10)
高級テレビン油国産化成る 製法は世界的の発明
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00213135&TYPE=HTML_FILE&POS=1

大阪時事新報 1935.12.9(昭和10)
顧みられぬ宝 全国森林から開発 松脂からテレピン、ロジン油 濶葉樹を建築材に転向さす 林業試験場 来年度新事業
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00724796&TYPE=HTML_FILE&POS=1

大阪毎日新聞 1936.3.8(昭和11)
『松脂』の輸入を一掃 年額約四百万円を全部国産で 林業日本に画期的計画
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00724809&TYPE=HTML_FILE&POS=1

大阪朝日新聞 1936.5.8(昭和11)
愈よ松脂の採取 六月下旬から県下三ヶ所で トップ切る神戸営林署
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00724816&TYPE=HTML_FILE&POS=1

神戸新聞 1938.5.7(昭和13) 夕刊
松脂輸入を駆逐 松の多い日本に不合理な話 見逃せぬ農村副業 県が採取を奨励 斜溝式採取法の発見によって国策資源開発へ躍進
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10075835&TYPE=HTML_FILE&POS=1

大阪朝日新聞 1938.8.5(昭和13)
国産松脂に召集令 精製に乗出す大阪営林局 伊丹に林産化学工場
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10075909&TYPE=HTML_FILE&POS=1

福井新聞 1938.8.26(昭和13) 13177号 朝刊2面
学童も出動!松脂採取熱昂る 三里浜方面で二万本
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/search?ctlg=030
(フリーワード「学童」等)

中外商業新報 1939.3.12-1939.3.15(昭和14)
松脂篇 (上・中・下) 統制下の商品
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00213242&TYPE=HTML_FILE&POS=1

大阪朝日新聞 1939.9.22(昭和14) 20811号 朝刊7面
農家の副業に有望な松脂 テレピン油は二割
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/search?ctlg=030
(フリーワード「松脂」等)

大阪朝日新聞 1942.7.9(昭和17)
仏印松脂開発会社 二百万円で近く創立 松脂確保に当局も慫慂
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00745739&TYPE=HTML_FILE&POS=1