百助 ひゃくすけ もゝすけ やをすけ

保科百助(ひゃくすけ 著書)

保科百助(ひゃくすけ 新聞)

保科百助(信濃公論)

保科百助の名前の読みは「ひゃくすけ」とされています。

1枚目の写真は『よいかゝをほしな百首け』(1906)、『岩石礦物新案教授法』(1910)。
2枚目の写真は『信濃毎日新聞 明治36年1月7日』(1903)、『信濃公論 明治42年3月10日』(1909)。
3枚目の写真は『信濃公論 明治42年3月10日』(1909)(2枚目の写真右と同じ号)と遺品の電報の「受信人居所氏名」欄。(著局日附印「長野 44.5.4」)

ルビは著者が書いたものとは限らず、誤りも非常に多いので、一つ二つではその読み方が広く行われていたことの証拠にはなりません。しかし、多くはありませんが、複数の著書等に「ひゃくすけ」のルビがあることから、少なくとも晩年には公に「ひゃくすけ」と名乗っていたことは確実だと思います。
他には、遺品の電報に「ホシナ シヤクスケ」の記入がありました。(明治44年5月4日)

(当時の新聞は総ルビの記事でも基本的に数字にはルビを付けません。「五無斎保科百助」のルビは「 むさいほしな すけ」となっていたりします。数字にルビがある場合、それは著者自身が原稿に書いたものである可能性もあります。)

「ひゃくすけ」以外の読み方は保科百助自身の記述ではほとんど見たことがありません。
洒落で書いたと思われる「やをすけ」のルビが『信濃公論 明治42年3月10日(礦物標本号)』にありました。(上の3枚目の写真左)
信濃毎日新聞 明治44年6月8日』の死亡記事には「もゝすけ」のルビがありました。
本人が「ひゃくすけ」を名乗ったとしても、すべての人がそれを知って記憶しているわけではないので、それ以外のルビがあってもおかしくはないのですが、あまり見つけられていません。

約50年後、村沢武夫編『信濃人物誌』(昭和37年?~)には「ももすけ」のルビがありました。出所・根拠は不明です。この本を見て「ももすけ」と読む人がいたかもしれません。
ちなみにこの本では、渡辺敏(「びん」または「はやし」)は「さとし」になっていました。

平沢信康『五無斎と信州教育』(2001) 359頁に「ごく一部の書には「ももすけ」とあるが、これは誤りである。保科百助自身、イニシャルをH.H.と記していることにも明らかである。」とありました。
別の読み方をする人(本人を含めて)がいなかったとは言い切れず、誤りと言えるかどうかわかりませんが(戸籍では名前の読みは規定されず、読みの正誤は明確ではないです)、記録がいくつもある「ひゃくすけ」の読みを無視して、記録がほとんどない別の読みだけを示すのは不適切だとは思います。

「ひゃくすけ」以外の呼び方があったと仮定すると不自然なことがいくつかあります。
「複数の読み方があった」「ある頃から読み方を変えた」等の話がまったく伝わっていません。
『五無斎保科百助全集』(昭和39年 1964)が佐久で編集されたとき「ひゃくすけ」以外の読み方をする人が多くいれば読み方についての言及が何かしらあるはずだと思うのですが、その形跡がありません。
狂歌に「ほしな」「ひゃく」を積極的に取り入れているのに対し、「もも」を取り入れている歌は見当たりません。(あるという話も聞いてはいますが未確認です。)
現在確認できる資料からは、当時「ひゃくすけ」以外の呼び方がされていたとは考えにくいです。(読み方を知らずに推測して読んだ人はいたかもしれませんが。)

「百助」の名前は、福沢百助(ひゃくすけ 福沢諭吉の父)、真田百助(ひゃくすけ? 信政)、本多百助(ひゃくすけ? 信俊)、栗原百助(ももすけ 江戸時代後期の宮津藩士)などがあるようです。読み方の根拠や変化については未確認です。

福沢百助は福沢諭吉『福翁自傳』(明治32年6月)の本文1頁に「ひゃくすけ」のルビがありました。
慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/index.html
デジタルで読む福澤諭吉『福翁自傳』
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_tbl.php
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=116


ちなみに、佐久間象山(さくま しょうざん)は出身地では明治~昭和前期に「ぞうざん」と読む人が増えて今更一つにするのが大変になっているそうですが、ルビ付きの文書をいくつも残しておけばこれほど長引くことはなかったでしょうね。または保科百助風に狂歌で「象山《このごう》の音《よみ》は如何にと人問はば 山はゾウザン我はショウザン」とか書いておくとか…

高橋宏「佐久間象山雅号呼称の決め手」(1995)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000522921