石大尽と石乞食

先日、石大尽(いし だいじん)と石乞食(いし こじき)という言葉を教えてもらいました。
石大尽というのは標本や知識・情報をたくさん持っている人のことで、石乞食はその取り巻きだそうです。
こじきはお大尽様に取り入って目当ての標本や情報を得ようとし、石大尽は石乞食に標本や情報を小出しに与えて、利用したり優越感に浸る、ということなのだそうで…
私も例えば五無斎標本の採集地を探して地元の人に聞いて回ったりするので、石乞食の一人なのかもしれません。

保科百助には取り巻きのような人達はいたのでしょうか。親しい友人や支援者のことを「五無宗の一人」などと書くことはありましたが、これは石を目当てにした取り巻きというわけではなさそうです。
神保小虎等の学者は、地方での標本採集を賞賛・推奨しました。矢沢米三郎は「比企忠氏や高壮吉氏抔が、重宝がってオダてたので、大に馬力をかける様になった。」と書いています。(信濃教育、五無斎 保科百助評伝) 比企忠は「同郡武石村尋常小学校長保科百助氏は鉱石採集の熱心家にして暇あれば鉄鎚を携へて信州諸山を跋渉し所蔵の鉱石氏の居室に満ち鉱石と雑居して快とせらるるは鉱石学の為めに実に賀すべきなり」(地質学雑誌第34号)と書いています。保科百助も学者から多く学べるので、互いに利用し合う関係だったのではないかと思います。

標本商がビジネスとして保科百助を接待したことはあったようです。
「長野県地学標本採集旅行記」の明治42年7月29日に以下の記述があります。

尚八木教諭は同所に於て電気石の好標本一個を得られたる由なり。想起す今より十年の昔東京の標本屋金石舎の主人(名称忘れたり)某が五無斎を標本採集人として召し抱へんと東京なる某旅宿に来りビールやら洋服の装飾品やらを贈りて五無の歓心を買はんとしたる折示したるものと同一の品なるを。当時五無の一商人の召抱人とならぬを見て取り産地を秘してコソ/\と逃げ帰りたる事のありたるが今や其産地を確むるを得たり。然れども其産出の多からざる由なるぞ遺憾なる。


「八木教諭」は八木貞助で、このとき保科百助に案内を依頼して同行していました。放射状結晶のことのようです。「金石舎の主人」は高木勘兵衛です。10年前高木勘兵衛が教えなかった産地が八木貞助のお陰で判明した、ということでしょう。ただし、同様の標本でも本当に同じ産地のものかどうかはわかりませんが。
産地を言わなかったのは、標本採集に協力してくれるならこちらが持っている情報も教えますよ、という誘いかけだったのでしょうか。