水精砂、萌砂、浅黄砂

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写真は篠ノ井の中尾山の白い砂とバッドランドです。流紋岩、松脂岩、真珠岩。
白黒写真は『更埴地方地質誌』(1944)のものです。以前は中尾山の正面中央に「象牙峯」があって、地質観察、標本採集はそこで行われたようです。昭和40年代50年代に岡田川が撤去されたとき、この峯も崩されて、今はないとのことです。(塩野入忠雄著『千曲川中流地方の岩石の産状と観察』(1989))

『雲根志』に岡田間名古谷(まなこたに)の水精砂がありますが、ここの白い砂のことかもしれません。
『長野県立歴史館 研究紀要 第4号』(1998)「万国博覧会の展示品収集と信濃国産物大略」によると、明治5年(1872)「信濃国産物大略」に岡田間名古谷の水精砂があり、同年『澳国博覧会出品目録』に更科郡岡田村産 萌砂、浅黄砂 があるとのことで、つまり、雲根志に従い水精砂を探したら萌砂、浅黄砂が得られたということのようです。

浅黄砂は雲根志には見つかりませんでしたが、同時代の木村蒹葭堂のコレクションにはあります。産地は不明です。(浅黄は薄い青色)

木村蒹葭堂 貝石標本の浅黄砂
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/collection/kenkado/stones/3/3_2_1.html

萌砂は他の資料では見つからず、中尾山では黄緑色の真珠岩も見られるので、もしかしたら萌黄色の砂という意味かもしれませんが、わかりません。(『博物館列品目録』に「萌黄砂」がありますが、類似のものか不明)

『博物館列品目録』(1880) には、Pearlstone 信濃更級郡岡田村 方言浅黄砂 があります。
保科百助「長野県地学標本」(1903)には「117 松香岩 更級郡共和村」があります。
ちなみに地元の共和小学校には保科百助の地学標本が今も保管されているそうです。(どの標本かは、見たことがないため、わかりません)


木内石亭『雲根志 後編』(1779)
巻之一 光彩類《くわうさいのるい》
水精砂《すいしやうずな》 五十四
水精砂《すいしやうしや》ははり水晶《すいしやう》の小細《せうさい》なるもの也 白色にして透《とほり》上品のもの愛《あい》するに堪《たへ》たり
出羽《てば》国米沢《よねざは》小菅村《こすげむら》地峯《ちのみね》に在 少し紫色なり
大和国春日山《かすかやま》丹後国琴曳浜《ことひきのはま》等にあり
此所にて銀砂《ぎんしゃ》といふ又琴曳砂《ことひきずな》ともいふ
伊勢国甲山《かぶとやま》其外奥州《しう》極楽浜《こくらくばま》同国恐山飛騨国高山信濃国善光寺《ぜんくわうし》より四里許《ばかり》西南岡田《をかだ》間名古谷《まなこたに》等にあり