緒占石(おじめいし)と自然銅(じねんどう)

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1枚目の写真は昨年上田創造館の講座で鉱物プレパラート作りをして観察した和田峠の柘榴石です。約1mm。

八木貞助(やぎ ていすけ 1879-1951)が和田峠の柘榴石について、緒占石(おじめいし)、菱石、菱形石と呼ばれた、緒締(おじめ)に加工された、土地の人が身分の高い人に献上した、という話をしたそうで、例によって、その出所を探してみたのですが、はっきりしません。

保科百助「長野県小県郡鉱物標本目録」(1895 1896)に「菱石/緒〆石 其結晶斜方十二面形ナルカ故ニ菱石ト称シ緒〆ノ玉ニ似タルヲ以テ緒〆石ト名ツケタルモノナラン?」とありました。

飯田の市岡家コレクション(1800年頃)に「和田峠 オシメ石」の標本があるそうです。(2枚目の写真、飯田市美術博物館編『江戸時代の好奇心 ―信州飯田・市岡家の本草学と多彩な教養―』(2004) 35頁より。ただし、写真が小さく細部が見えないので、柘榴石かどうか、確実ではありません。)

江戸時代の好奇心(飯田市美術博物館)
http://www.iida-museum.org/item/江戸時代の好奇心/

木内石亭『雲根志』には和田峠の「緒占石」「菱石」等は無いようですが、『雲根志 三編』(1801)に自然銅(じねんどう。本草学では主に褐鉄鉱。ブセキ、カドイシ、カクイシ、マスイシ、ハコイシ等)があり、信州の産地として和田峠、虎岩村、武石が挙げられています。
武石村の自然銅(じねんどう)も緒留石(おどめいし)と呼ばれました。(小野蘭山(1729-1810)口述『本草綱目啓蒙』(1803)等)
もしかしたら、和田峠の柘榴石を自然銅(じねんどう)に分類する考え方(または混同)があったのかもしれません。
木内石亭は『雲根志 前編』(1773)では、和産の自然銅の多くはニセ物と考えたようですが(「和産多しといへども真物にあらず 方金牙の種類也 予多年心掛るといへども見あたらざりし」)、『雲根志 三編』(1801)では真偽については書いていません。銅鉱の自然銅と、薬としての自然銅があり、その定義や区別は、当時は保留するしかなかったのかも。)

ちなみに、『雲根志 三編』に「八方多賀根」(はっぽうたがね)があり、和田峠の柘榴石と勘違いされることがありますが、和田峠ではなく伊那郡の和田村です。(3枚目の写真、飯田市美術博物館編『江戸時代の好奇心 ―信州飯田・市岡家の本草学と多彩な教養―』(2004) 36頁、図は井出道貞(いで みちさだ 1756-1839)『信濃奇勝録』より。『雲根志』からの引用は字句がやや異なります。)
墺国博覧会出品目録』(明治5年 東京国立博物館蔵)に「武石 同郡下武石村産 案八方タガネ属」の記載があるそうで、八方タガネの定義や自然銅(じねんどう)との区別も不安定なものだったのかもしれません。

信濃奇勝録 巻之四 (32コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765067

雲根志 三編 巻之二 采用類(29コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563671
自然銅《じねんどう》 二十三
播州《ばんしう》佐用《さよ》春名氏より同郡《どうぐん》山田村山中飛礫岩といふ邉《へん》より出《いづ》る切金石《きりかねいし》といふ物を贈《をく》らる これをみるに至品《しひん》の自然銅《じねんどう》なり又同国《どうこく》立野《たつの》半田山にも出《いづ》ると 近世《きんぜい》勢州《せいしう》宇治《うぢ》山 有坂《ありさか》信州《しんしう》和田 峠《とうげ》同国《どうこく》虎岩《とらいは》村 同古麻郡 武石《たけいし》賀州《かしう》江沼《ぬま》郡 荒谷《あらたに》備中《びつちう》川上郡布寄村 安藝《あき》山形《やまがた》郡 加計《かけ》村 奥州津軽《おうしうつがる》瀧沢《たきざは》山 上総《かづさ》の小松等《とう》より取得《とりえ》たり いづれも舶来《はくらい》の物に劣《をと》らず 予 同好《どうこう》に誇《ほこ》る飛州《ひしう》の産《さん》は数《す》百塊《くわい》をなし大さ斗《と》の如《ごと》く其 奇《き》いふべからず 本草綱目ニ曰ク纍ゝトシテ相継ギ斗大ノ如キ者ニ至 色煌ゝトシテ明爛 黄金鍮石ノ如シ
(※「古麻郡」は「小縣郡」(縦書き・崩し字)の誤写か)


雲根志 三編 巻之四 光彩類 (37コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563672
八方多賀根《はつほうたがね》十三
信州伊奈郡《しんしういなごほり》遠山和田村《とをやまわだむら》の内万古村に八方《はつほう》タカネといふものあり 全體《ぜんたい》白《しろ》き雑石《ざつせき》にて小米石《こごめいし》といふ物なり これを破砕《わりくだ》けば石中《せきちう》に銅《あかゞね》の八稜《やつかど》の玉《たま》あり 自然《じねん》にして削《けづ》るが如《ごと》く大さ胡桃《くるみ》ばかりなる玉《たま》にて外皮《そとかは》は薄黒《うすくろ》く玉中《たまのうち》は金銅《きんどう》の色なり 拳《こぶし》ばかりなる石を砕《くた》けば彼《かの》玉三四五孕《はら》めり かくのごときもの他産《たさん》ある事をしらず 漢産《かんさん》また詳《つまびらか》ならず 最《もつとも》奇品《きひん》にして愛《あい》すべきものなり 尾州津島《びしうつしま》氷室氏《ひむろうち》恵《めぐ》まる


緒締に加工した話と、献上の話は、まだ文書も実物も見たことがなく、あり得る話とは思いますが、著名ではなかった可能性も。(緒締に似た石という意味で「緒締石」の名前が付き、その後、名前から「緒締に使われたのでこの名前が付いた」という由来が作られた、という可能性もあると思います。)

伊那郡の八方タガネや武石村の自然銅(じねんどう)に相当する記載は『墺国博覧会出品目録』(明治5年)『博物館列品目録』(明治13年)にありますが、和田峠の柘榴石は見当たらず(『東京教育博物館列品目録 金石之部』(明治19年)にガーネットとして記載があります)、有名だったという話とやや整合しません。単に事務処理上の遅れだったのかもしれませんが。