上田城西櫓の心柱の刻印

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今年一般公開(有料)されている、上田城本丸西櫓の中を見てきました。
1階だけ。解説板と「武者窓」「鉄砲狭間」「矢狭間」の名札がある他には、展示物等はありませんでした。

西櫓は江戸時代に仙石氏が建てたときの姿を多く残しているそうです。(部分的な改修はあったかもしれません。また、昭和に「徴古館」として利用されたとき内部が変更されたそうです。)

上田城櫓(県宝)
http://museum.umic.jp/map/document/dot6.html
上田のお宝発見「上田城 西櫓・北櫓・南櫓」
https://www.city.ueda.nagano.jp/joho/shise/koho/joho/sanadamaru_gyochan.html
上田城の歴史
http://www.city.ueda.nagano.jp/bunka/tanoshimu/bunka/rekishi/index.html

心柱(松の丸柱)にいくつもあるという「仙」の刻印を探してみました。
見えにくく、案内もないので、知らないと気が付かないでしょうね。

四角(□)の中に斜めに「仙」の字が入っています。(言い換えると、菱形(◇)に「仙」の字が入ったものが斜めになった状態)
刻印は左側が深いものが多く(曲面に平面の印を押したためか)、四角(□)、人偏(イ)、「山」の順に明瞭なので、この順に探すと見つけやすいと思います。
人偏(イ)は斜めなので「フ」の字に似ています。「山」は不明瞭で見えないものが多いです。
なぜか近い所にいくつもあって、縦に二つ並んでいたりします。理由はわかりません。

一番下の白黒写真は、上田市立博物館『郷土の歴史 上田城』(1994) 116頁に載っている刻印ですが、これの位置はわかりませんでした。


NHK真田丸」は次回ももう少し天正10年のようですね。ちなみに「真田太平記」では2回と少しでした。(天正壬午の乱の話はほとんどありません。)

春日信達の謀殺は、ドラマでは合戦にしないための策という話でしたが、それが北条と上杉の講和の決め手になったという説明がなく、やはり辻褄が合っていないような…

調略が失敗して北条が止まると考えるなら、最初から調略は不要です。北条が戦う気なら、上杉の力を削いだのですから、ここで止める理由はありません。
北条が上杉と講和したのは、北信濃より甲斐の方が重要だったからで、春日信達の帰属がどちらでも、講和は成立したのではないでしょうか。

上杉は従属したばかりの春日信達を警戒していたはずで、裏工作は簡単ではなかったと思います。(春日信達本能寺の変の後、森長可を裏切り、人質を殺されています。求心力は低下し、春日信達の勢力は内部分裂していたことも考えられます。上杉に裏切りがばれたのも、そのためかも。)
春日信達が調略のことを身内に話していれば、真田昌幸の謀略がばれることは十分に考えられます。ばれれば真田は窮地に陥ります。ばれなくても調略失敗を口実に北条から咎められる危険性はあります。