サッカーゴールと校内放送

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図書館で郷土資料のコーナーを見ていたら「ミレニアム写真集 うえだ今昔物語」という昔の写真を集めた本がありました。中央公民館が平成13年3月に発行したものです。とても興味深い本なのですが、一つ、間違いでは?と思える写真がありました。上の1枚目の写真です。以下の解説がありました。(14頁)

【旧西塩田小学校南校舎】昭和11年10月撮影/手塚
明治22年に建設され、西塩田地区の基礎教育を支えた。現在、廃校となり、市民に様々な形で利用されている。


昭和11年撮影となっているのですが、それはあり得ません。この写真にある建物は、昭和24年、西塩田中学校の校舎として増築された部分だからです。ちなみに2枚目の写真はその前の昭和9年に増築された南校舎です。(「西塩田小学校百周年記念誌」14頁より) 昭和24年にこの西側(写真右側)に増築されるまで、南校舎はほぼこの状態でした。

もしかしたら「昭和11年」は「平成11年」の間違いかもしれません。西塩田小学校の閉校は平成8年(1996)です。この写真集の発行は平成13年3月で、制作を始めたのはおそらくその数年前でしょう。資料集めのため、平成11年10月に、廃校後の現在(当時)の校舎を撮影したと考えると時期の辻褄は合います。どこかで「昭和」と書き間違えて、そのまま昭和11年の写真として扱ってしまったのかも。

また、「明治22年に建設され」とありますが、昭和24年の増築なので、これも間違いです。明治22年は西塩田村が発足して西塩田尋常小学校が開校した年です。このとき校舎は別の場所にありました。現在の場所に移転したのは大正5年です。
明治22年に建設され」は「建設」ではなく「開校」とするべきでしょう。


ところで、1枚目の校舎の写真には撮影時期を推理する手がかりになりそうなものがいくつか写っています。二階の窓にあるスピーカー、手前にあるサッカーゴール、校舎の右にあるプレハブのような建物などです。スピーカーはたぶん校内放送用のものでしょう。
先日この場所に行ってみたら、今もスピーカーはありました。サッカーゴールもありましたが、写真のものと同じかどうかはわかりません。プレハブのような建物は撤去されていました。手前の樹木はなくなっていました。(3枚目の写真)

「西塩田小学校百周年記念誌」の年表によると、昭和43年にサッカーゴールが設置され、昭和48年7月 放送施設一式着荷、となっています。プレハブのような建物についてはどの増築が該当するのかわかりませんでした。


小学校でサッカーをやるようになったのはいつ頃からか? と思って調べてみたところ、多和健雄という方がサッカーの義務教育課程化に貢献した、という話が見つかりました。

日本サッカーアーカイブ
http://archive.footballjapan.jp/user/scripts/user/person.php?person_id=58

上記ページより引用。

1958年改訂の学習指導要領改訂おいて、小学校から高校までの体育の学習内容としてサッカー(小学校では簡易型のサッカー)が採用された。(1962年から小学校から段階的に施行が始まる)。

こうした背景があって、昭和43年(1968)に西塩田小学校にサッカーゴールが設置されたのでしょう。それ以前はおそらく、なかったと思いますが、まだ断定はできません。

結局、確かなことは何もわかっていませんが、こんな謎解きも自由研究みたいで面白いです。