明治時代のオオカミの話

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図書館で郷土資料のコーナーを見ていると、昔の野生動物(哺乳類など)について書いたものもあって、面白いです。
青木村の今昔」は明治40年9月、当時、青木小学校訓導だった有矢金治郎が書いた本で、それを昭和60年に活字本にしたものです。内容は青木村の自然、社会、歴史などの概要です。その中に、当時の野生動物の状況についての記事がありました。

有矢金治郎(金次郎)編「青木村の今昔」 明治40年9月

第八章 博物
第一節 動物
 山林は伐採せられて畑となり原野と拓かれて桑園となり、人口日に月に其数を加うる今日に於ては、何とて野生の動物の其勢を逞うする事を得んや。古老の語る所を聞けば四五十年以前迄は猪狐狼等頗る多く常に人家近き所に於て目撃せしものなりと云う。今その話の一、二を語らん。

(一)猪
 猪は最も多かりしが如し。常に田畑に出で作物を害すること甚だしく人民の苦慮せし所なり。里人之を防がんため谿川に沿って「ガツタリ」と称する水車的の仕掛を作り、石を搗かしめて其響によりて之をおどしたる事もありたりと云う。今其頃捕獲せしものの毛皮至る所に存す。
(二)狼
 狼も亦多かりしが如し。時々夜陰に乗じて来襲し、死馬を堀り、家畜を捕ふる等の事ありきと云う。僅か今より四拾年前の事なりと聞きしが、中村区の平馬沢なる傍の小高き丘上には狼落しと称する大なる穴を掘りおき死馬の肉を以て巧に狼を欺き落して捕獲せりと云う。其大なるものは見世物として持ち廻りたる事は今の中老皆知る所なり。
 然るに今や全く其の跡をたち少しも見る不能唯野獣中珍とすべきは、滝林官林にたま/\来る猿猴の一種あるのみ。其他は語るに足るものなし。兎栗鼠等の如き普通の小動物すら非常に其数を減じたり。鳥類の如きも亦甚だ多かりし昔語をきくのみにして、今は僅かなる雉山鶏の外は木の間を潜る小禽の愛らしきがあるのみ。


狼落とし・イヌオトシは諏訪郡富士見町に今も文化財として保存されているそうです。(石積みの丸い穴で、径4m、深さ3m) 昔はどこにでもあったのかもしれません。

昔の本を読んで少し意外に感じられるのは、明治から昭和の戦後まで、シカ、イノシシは人里近くでは姿がほとんど見られなかったことです。餌となる大型の野生動物の減少も、ニホンオオカミの絶滅原因の一つなのでしょう。

青木村の今昔」の活字本では、有矢金治郎の名前を「金次郎」としていますが、本人直筆と思われる表紙に「金治郎」とあるので、この記事では「金治郎」としました。
また、「青木村の今昔」の扉の写真の下に「明治41年より西塩田尋常高等小学校長」とありますが、西塩田小学校関連の本では明治42年4月の着任とされています。