狂歌とナウマンゾウ

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14日(日)に塩田平ボランティアガイドの会の歴史散策ウォーキングがあるそうです。今回は五加、下本郷、下小島付近。とっこ館のウェブページに案内がありました。
http://www.shiodanosato.jp/news/

JA中塩田店、女池、塩田氏館跡、内堀館跡、東五加地籍、鎌倉橋、地蔵尊、福神子安地蔵、倉保根池、大日堂、延命地蔵尊、誉田別神社、上原池、五加八幡社、絵堂地蔵、耕月園歌碑、南宮跡

写真は耕月園歌碑です。

柳随風 耕月園 貢
漸(ようやく)に いとをなびかすはるかぜは やなき緑となる ちからなるべし
 筆弟中
慶応元 乙丑 葉月吉日
 石工 白鳥源四郎公命

耕月園は田毎月丸(平野六左衛門邦慶 上田藩士狂歌師 1740-1818)の門人で、五加の甲田清右衛門とのこと。ただ、甲田清右衛門の家は代々清右衛門を名乗っていて、どの清右衛門なのか、はっきりしません。『五加の歴史』(1982)では甲田清右衛門義達(1829-1893)のように書いていますが、それだと田毎月丸の門人としては年代が合わず、義達の祖父または父の世代か、あるいは田毎月丸の門人という話が少し違っているのか。

狂歌の意味(面白さ)もよくわかりませんが、わざわざ碑にしたということは、人柄が穏やかで、ゆっくり教える先生だったということでしょうか。

鎌倉橋の北の下本郷では1956年にナウマンゾウ臼歯の化石が出ています。
https://museum.umic.jp/hakubutsukan/collection


一帯にはまだ化石が埋まっている可能性があると思います。将来、精度の高い地中探査ができるようになれば、もしかしたら、塩田平のあちこちで第四紀の化石が見つかるようになるのかもしれませんね。
この臼歯の化石を発見したのは当時小学生だった、版画製作・画家の故・森仁志さんでした。『信州のゾウ化石を探る』(1981)に発見時のことが書かれていました。