西行の戻り橋の謎

西行の戻り橋(信濃奇区一覧)

西行の戻り橋(信濃奇勝録)

西行の戻り橋(善光寺道名所図絵)

別所温泉に「西行の戻り橋」という伝説があるのですが、どの橋のことか、はっきりとはしていないようです。
1枚目の画像は井出道貞(1757?-1842?)『信濃奇区一覧』(1834?)の明治初期の写しの別所温泉の絵図の一部。2枚目の画像は明治20年に同書が『信濃奇勝録』として出版されたもの。3枚目の画像は『善光寺道名所図絵』(1849)巻五の別所温泉の絵図の一部です。

写しの絵図では比蘭樹(びらんじゅ)の先の橋になっています。刊行本では名称の近くに橋が無く、比蘭樹の先の橋の可能性が高いですが、はっきりしません。(これらの絵図が当時の話を正しく伝えているかどうかも不確実です。)

善光寺道名所図絵』には西行の戻り橋はありませんが、『信濃奇勝録』の絵図と似た部分があり、もしかしたら、同じ絵図を参照したのかもしれません。こちらの絵図には幕宮池(まくみやいけ)や善光寺道の記述があります。(越戸峠旧道入口に「右 上田 左 善光寺」(地名はかな文字)の石道標があります。)

今、西行の戻り橋の案内板があるのは、維茂塚(これもちづか)の近くの橋です。そうではなく比蘭樹(びらんじゅ)の先の旧道の橋だという人もいます。また、越戸峠の下の橋(たぶん幕宮池からの川を渡る橋)という話もあります。


この話は西行伝説の一種で、各地に類似の話があります。『善光寺道名所図絵』巻之三にも飯縄原の同様の話が載っています。
西行法師のエピソードは後付けの可能性が高いと思いますが、「戻り橋」と呼ばれる橋はあったのかもしれません。例えば、藩主の滞在時に道路や橋に番所が設置された記録があるそうで、通行不可の橋をもしかしたら「戻り橋」とも呼んだのかも。もしそうであれば「戻り橋」が複数あっても不思議はないです。(少なくとも「戻り橋」という言葉から橋の番所を連想する人はいたはず。)


西行法師が問答に負けて引き返すという話の意味や背景も謎です。
連想されるのは、禅宗の禅問答で、どこの寺でどんな論戦があったとか、人々の話題になるような時代があったのでしょうか。
小県郡史 余篇』(1923)には二種類の問答が載っていて、引き返した理由は、先が案じられたから、というものです。多くの民話の本で同様の理由なのですが、寺と温泉で賑わいがあるはずの村を恐れ、引き返すというのは不自然です。
土田耕平(1895-1940)の童話「西行の戻り橋」では、西行法師が引き返した理由については「誰も知る人はありません」と、答えの無いままにしています。
もしかしたら「戻り橋」という言葉に西行橋伝説をくっつけただけのものが原型で、意味のある話にできないまま今に至っているのかも…


信濃奇勝録 巻之3(34、36コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765066

西行戻橋は昔西行此所に来り児童に向ひ戯れに麦畑をさして是は何ぞと問けるを冬茎たちの夏かれ草なりと答ければいかゝ思ひけん此橋より戻(もどり)しといひ伝へり


小県郡史 余篇(1923)(36、37コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965787

西行の戻り橋。
昔々、西行法師が佐久の布引観音から、別所村の北向観音に廻らうとして、塩田の原を過ぎ、山田峠にかゝつた。芳草青々として春風は衣をはらふ、此原頭に四五歳ばかりの小供等が蕨を採つてゐた。法師たはむれて「小供らよ、わらび(藁火)をとりて、手を焼くな」と云ふた。すると子供等は直ぐに「法師さん。檜笠(火の木笠)きて、頭を焼くな」と云ふた。西行は何気なしに通りこした。峠を下つて湯川が流れてゐる。此川に架けてある橋に片足を踏みかけたが、ふと此老法師がかの童達にすかさずやりこめられたとは仰も何事だ、此童は唯人ではあるまい、これから先の旅も按じられる、と心に思ひ浮ぶと引き返して、遂に橋を渡らなかつた。これから此橋を西行の戻り橋といふのである。間もなく峠に引きかへして見れば、最早さきの童子等の影も形も見えなかつた。これは天狗の仕業かと、西行は帰つて来たのを喜んだといふことだ。(里伝)
此伝説と同趣のもの善光寺道名所図会に飯縄原の事として記載せられたり。何れの所伝か本源ならん、知るべからず。戻橋は現時の渡橋の遥か下方に存す。里俗其戻橋といへる語を忌み、婚礼の節に此橋を渡るを避けたりといふ。又この戻橋伝説に左の如きものあり。
西行法師がこゝに来て、遊んでゐた児童に向ひ、傍の畑に青々と茂つてゐた麦に指をさし「これは何んだ」というた。すると児童たちは直様「冬茎(くゝ)たちの夏枯草」と答へた、西行も流石に此名答にはびつくりして、其先が案じられて、此橋から引き戻したのである(後の眺、信濃寄勝録)
以上二話深く探ぐるを要せざれど、何れにか此の地のものあるべし。無邪気な文学的童話として、興味深からずや。

 

土田耕平『蓮の実』(大正15 1926)
西行の戻り橋
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717105/58

西行橋の話の一覧表や参考文献が多く掲載されている論文です。(『信濃奇勝録』『新編上田・佐久の民話』での伝承場所が馬越村とされていますが、別所村ではないかと。)

野岳義「菅江真澄の採集した西行伝承 -付載 鎌田正苗『秋田郡寺内村古跡記』-」(2015)
https://waseda.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=1555&pn=1&count=20&order=7&lang=japanese&page_id=13&block_id=21