天狗髑髏(てんぐ しゃれこうべ)

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「須坂の一目髑髏」の記事に書いたトランベール7月号の6頁に「天狗髑髏」の写真がありますが、説明はウェブの記事中には見つからず、どうも平賀源内(1728-1780)『天狗髑髏鑒定縁起』(てんぐ しゃれこうべ めきき えんぎ)のことのようで、それにちなんだクジラ類の頭骨標本でしょうか。この話は跋文によると創作のようで、描かれた頭骨は実在した可能性が高いと思いますが、発見の経緯等どこまで事実かわかりません。天狗についての考察というよりも、天狗に関する諸説を題材にして、本草学・医学のあり方を寓話化した批評文でしょうか。
「天狗髑髏圖」はクジラ類の頭骨・上顎を下から見たもの。「ぼうごる すとろいす」はダチョウ(vogel struis、struisvogel、vogelは鳥)、「うにかうる」はユニコーンのことだそうです。

福田安典「風来山人「天狗髑髏鑒定縁起」考」(1987)
http://hdl.handle.net/11094/47844
トランヴェール 2018年7月号 [特集] 大地、海、宇宙を翔る。荒俣宏妖怪探偵団~信州の夏は、ワンダー~
https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/
須坂の一目髑髏
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36366736

風来山人(平賀源内)『天狗髑髏鑒定縁起』(安永5 1776、明和7 1770)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534181

(※字体は一致しません。誤読もあるかもしれません。)

天狗髑髏圖
頭(かしら)大サ六寸余
觜(くちばし)七寸余
目(め)のことく成穴一寸五分程
耳(みゝ)の穴二寸 牙(きば)五分程
咽(のど)のことくの穴二ッ
都(すべて)一尺二寸余

天狗髑髏鑒定縁起(てんぐしやれかうべめきゑんき)
明和七ッのとし菊月末の四日。門人來りて藥物の眞僞(しんぎ)を論(ろん)す。折ふし扉(とぼそ)を叩(たゝ)くものは大場豊水なり。一(ひとつ)の異物を携(たづさ)へ來りて曰。昨夜天狗を夢む。今朝夢さめて思ふに。けふは廿四日にて愛宕の縁日なれはとて芝の愛宕に詣けるに。門前櫻川と号する小流の中に怪(あや)しき物あり。拾(ひろひ)上て泥土(でいど)の穢(けかれ)を洗去れは。しか/\の物なりとて筐(はこ)を開て取出し。けふ此品を得て歸るさの道にて。見るもの皆天狗の髑髏(しやれかうべ)なりとて市をなせとも。固(もとより)俗人の億見(あてずいりやう)證(しよう)とするに足らす希は先生眞僞(しんぎ)を弁ぜよと。
予諾(たく)して門人に告て各其志をいはしむ。一人が曰。これ大鳥の頭なり。阿蘭陀のぼうごる。すとろいすならんと。又一人曰。蠻夷(ばんい)の大鳥たりとも斯まて大には有べからす。これ大魚の頭骨(かしらのほね)ならんと。反覆(はんふく)上下の論。異説まち/\にして衆儀(しゆぎ)一決せず。
予曰。これ天狗のしやれかうべなり。門人驚て曰。夫れ倭俗(わぞく)の天狗と称するものは全く魑魅魍魎(ちみもうれう)を指すなれとも。定れる形有べふもあらず。然るに今世に天狗を画くに。鼻高きは。心の高慢(かうまん)鼻にあらはるゝを標(へう)して大天狗の容(かたち)とし。又觜(くちばし)の長きは。駄口(だくち)を利(きゝ)て差出たがる木の葉天狗溝(みそ)飛(とび)天狗の形状(すがた)なり。翅(はね)ありて草鞋(わらぢ)をはくは。飛もしつ歩行(あるき)もする自由にかたどる。杉の梢に住居すれとも。店賃を出さゞるは橫着(わうちやく)者なり。羽扇(はうちわ)はもの入をいとふ悋嗇(しわんばう)に譬(ひ)す。これ皆画工の思ひ付にて。実に此(かく)のことき物あるにはあらす。聖人も怪力亂神(くわいりよくらんしん)を語らすとことその玉へ。いま是を天狗の髑髏也とは我々を欺(あざむ)き玉ふや。
予曰。諸子の疑その理なきにあらす。去なから我微(び)意を悟(さとら)ずんはいささらば語り聞さん。古人の曰。藥を賣(うる)ものは兩眼。藥を用る者は一眼。藥を服する者は無眼とはとつと昔の譬(たとへ)。今時の醫者といふは。武士の子なれは惰弱(だじやく)者。百性なれは疎懶(ぶしやう)者。町人なれは商を爲(し)得す。職人なれは無器用者にて。糊口(くちすぎ)を爲(し)兼るもの醫者にでもならふといふ。これを号て。でも醫者とてあたまぐるりの長羽織。見えと座なり計にて。藥の事は陳皮もしらす。長屋(こ?)も露路(ろし)も踏(ふむ)もすべるもそこらだらけが醫者だらけ。藥種屋も盲(めくら)。醫者もめくら。病家は猶盲故。臭橘(からたち)を枳殼(きこく)とし鼠麹草(はゝごくさ)を芫花(けんくわ)とし。鯨の牙をうにかうるとし。氣蠜(へつひりむし)を[※庶の下に虫]虫(しやちう)とし。翻(かはら)白菜(ざいこ)を紫胡(さいこ)と心得。廣東(かんとう)人参を人参と思ふ。其外千變萬化の大間違。されとも浮世は盲千人。はくらんの藥ははくらん病が買習なれは。是を賣もの家蔵を建(たて)。これを用るもの四枚肩(しまいかた)に乗。これを呑者往生(わうじやう)の素懐(そく?はゐ)をとげなから。恨(うらみ)もせねば気の毒なとも思はす。嗚呼(あゝ)悲しきかな文盲(もんもう)なるかな。
予これを憂(うれへ)て藥物の眞僞を正し。世上の醫者の目を明んとて千辛万苦(せんしんばんく)すれば。うぬらが心に引當て山などゝの取沙汰。智者は水を樂(このみ)。仁者は山を樂(このむ)。后稷は農を敎(をし)え。禹王は水を治(をさ)む。過(すぎ)たるをはふき。足さるを補ふは聖人のいさをしなり。山のやまなる山の芋。鰻[※魚へんに廉の異体字](うなぎ)とならで朽果なは。薯蕷(やまのいも)とも甘藷(さつまいも)とも旨(うま)ひ奴等が口の端にかゝる浮(うき)世に産れ來て。牛の糞(ふん)やら胡麻味噌やら。やみらみつちやの流渡。海参(なまこ)の尻やら頭やら。蟹(かに)の竪やら橫道やら。にうががにうへとちりあべこべ錢あるものは利口に見え。出杌(くひ)は打るゝ習ひ。
天狗のあたまの眞僞を論じ。時を移(うつ)せば腹がへり。日が重れは店賃がふへ。月が延れは質(しち)か流るゝ。儒者は本田あたまの通り者をとらへて。尭舜の民たらしめんとし。賢女兩夫に見(まみ)えすと。女郎屋の二階て講釋(こうしやく)をするは。[※虫へんに醫]螉(じかばち)が蜈蚣(むかで)をとらへて。我に似よといふが如し。
動(どう)と止(しい)との文字は合ふても。馬めが合点いたさねば。世話やくがたはけながらも。腹へはいる藥は。人命(ひとのいのち)の存亡(いきしに)にあづかれば。聞ぬまでも赤目引はり。某時珍になりかはり。一問答せねばならねど呑もせず傅(つけ)もせず目を歓ばすばかりにて。毒にもならす。藥にも。何のお茶とうにもならされば。諸人自(みづから)甘(あま)ンして天狗といふて嬉しがるならば。其波を揚(あけ)その醨(しる)をすゝりて。天狗にするが卓見(たくけん)なり。
そのうへ縫目(ぬいめ)の蚤虱(のみしらみ)さへ悉(こと/\く)は見盡されず。まして天地の廣大(くはうたい)なる萬物の際限(さいげん)なき。一人の目を以て極がたけれは。答は繪に画(かく)天狗殿がお出やるまいものにもあらず。有たとて天狗ぐらいにさらわれる男でなけれは。微塵(みちん)こわくもなんともなく。無いとて小遣錢の切た程に不自由にも思はねば。只造化(そうくは)といへる細工人のお心持次第なり。
若又天狗か何故死たと根問する人の有ならばあまり高慢が過て。科(とが)なき者を惡(わる)くいふたり。人を食たり抓(つかん)だりがかうじた故。天狗の親玉太郎坊殿怒をなし。木の葉天狗を引とらへ首ねぢ切て捨たるを。豊水が見つけて拾(ひろ)ひ上し物ならん。これ皆余所の事ならす。今時世上に目がなければ。おとなしふ爪をかくせば鳶かと思ふてたはけともが。茶にしたり馬鹿にする故。謙退(けんたい)辞譲(じしやう)は間に合ず。高慢いわぬは損なれども。又其高慢が過る時は。天道からあたまをへさへ。必憂目にあふものなり。人々慎玉へかしといへは。皆尤とうなつきぬ。
 天狗さへ野夫ではないとしやれかうへ
  極てやるが通りものなり
     風來山人書

 跋
天狗髑髏鑑定縁起といへるは。一とせ予か戲に書(かき)ちらし。大場豊(ほう)水に與(あた)へたるを。此頃(このころ)書林開板(かいはん)しけるを。或(ある)人見て予に謂(いつ)て曰。嗚呼(あゝ)子か人を譏(そし)る事甚しひかな。彼(かの)文中毉者(いしや)と藥店(やくてん)共に盲とし。陳皮(ちんひ)もしらすとは何事(こと)そや。陳皮は蜜柑(みかん)の皮(かは)にして。三歳の小児も能是を知る。まして醫者(しや)藥(くすり)屋をや。此書行れさる以前(せん)。此文を削去(けつりさり)て世の嘲(あさけり)を免るへしと。
予答(こたへ)て曰。陳皮の事神農(しんのう)本草經(そうけう)には橘柚(きつゆ)と有。後(こう)世二物(ふつ)自(おのつから)別なり。或は方(ほう)書に橘皮(きつひ)と記(しる)し。陳皮靑皮のわかちあり。然るを香川氏か藥撰(やくせん)に謔言(たはこと)をついてより。古方家(こほうか)と稱(せう)する文盲(もんもう)醫者とも。陳皮を捨(すて)て青皮而己(のみ)をつかふ。陰陽造化(いんやうさうくは)の理に暗(くら)く。藥をしらすして療治するは。[※坐の左の人が口]行(いさり)にて轎夫(かこかき)と成り。達磨(たるま)か串童(かけま)を勤るに似(に)たり。蜜柑の皮より腹(はら)の皮。日頃笑止(せうし)千万と思ふ息(いき)が鼻(はな)へぬけ。戲ましりに書(かき)ちらせしなり。
こけおどしの大言にあらす。習ひたくば敎(をしへ)てやるべし。若(もし)此惡たいを無念(むねん)に思はゞ。藥屋にもせよ醫者にもせよ遠ひ藥はさて置て。陳皮一味の事なりとも。わかるといふ人有ならは。來りて我と議論(ぎろん)せよ。所(ところ)は神田大和町の代地。一月三分の貸店(かしだな)に。貧乏(ひんぼう)に暮(くら)せとも本名も隱(かく)れなし。時に安永五ッのとし尻(しり)眞赤(まつか)いな申ノ極月。借金乞にいひ訣(わけ)の暇(いとま)風來山人識