保科百助の満韓地方視察計画

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明治38年3月2日信濃毎日新聞に掲載された広告?です。
保科塾を始めて1年余りの頃、日露戦争中。(3月1日 奉天会戦
直接的な表現はありませんが寄付金の募集広告でしょうか。
この広告の前、2月11日の演説会(明治38年1月28日と2月11日に「時局に関する通俗学術演説会」を開催しました。1月は7名、2月は10名程が演説しています。)のときに土屋政吉が50円の寄附を申し出た話が「土屋政吉君之逸事」の中にあります。(土屋政吉は翌3月に病に倒れ5月に死去)
当時一般に大陸進出への期待感があり、保科百助も関わろうとしていたことがわかります。
明治36年末から39年8月まで保科塾を経営していて、渡航した話は聞かないので実現はしなかったようです。長野県地学標本のときの山田禎三郎のように大金を寄附する人が現れて、もしも実現していたら、帰ってきてどんなことを言ったのでしょうね。

他の関連資料としては「風間冠峯氏の讃辞について」、『信濃教育会雑誌 明治38年7月』(前月の信濃教育会総集会の演説要旨)がありました。(下に掲載)


信濃毎日新聞 明治38年3月2日 広告記事

小生儀赤貧洗ふが如くなるにも不拘聊か時
局に鑑みる所あり來る七月上旬當地出發凡
そ三が月の豫定を以て滿韓地方に於ける敎
育實業視察の爲め渡航仕候間視察上心得と
なるべき事其他萬般の便宣を與へられ度尚
何々の事項を視察し來れとの御下命をも蒙
り度此段略儀ながら新聞紙上を以て御願申
上候敬具
 明治卅八年三月 在長野市
     五無齋事 保科百助


「土屋政吉君之逸事」(長野新聞 明治38年6月30日~7月10日)より (『五無斎保科百助全集』274頁)
斯くの如くにして演説会の当日たる二月十一日は来れり、君は同僚の職員や貴婦人方迄をも同道にて来会せられたり、満韓視察費のうちへ金五十円寄附との申込みありたり曰《い》はく予か郷里三水村附近の地は交通機関の発達進歩せし以来は農民の其職を失ふもの著しく多きを加へ足下の所謂笊鰌《ざるどじよう》の現象は所在踵を接して起り貧富の懸隔は益々甚しく之を救済するの途殆んど有る事なし、恐くは他の地方とても亦然る事ならん足下よ幸に彼土に押し渡り充分に実地を調査したる上にて移民なり出稼きなり宜敷頼み入るなり、尤も御都合によりては私塾の経費のうちへ御流用下さるるも苦しからずと。今回に於ける予は敢へて君の好意を辞せざりき、其故如何となれば君は一旦言ひ出したる事は如何にしても後へは引かぬといふ意気癖あるの紳士なればなり、


「風間冠峯氏の讃辞について」(長野新聞 明治38年3月14日~23日)より (『五無斎保科百助全集』265頁)
昨年の十一月頃なりしか、君は横浜より遥々《はるばる》書を寄せられて維持金募集の為め態々《わざわざ》帰県すべきかと迄に申越されたりし事ありたり。君の好意謝するに余りありと雖も予は直ちに返書を認めて「多数の人より多額の金円を恵まれなば責任のみ益々重くなりて仕事は其れ程には出来ず多数の人をして不明の譏りを受けしむるに至りては其心苦しき事言はん方なく且つ近頃は寄附金流行の世の中なれば諸人の迷惑も思ひ遣らるゝなり。然れども予は敢へて寄附金を絶対的に非認するには非ず。予の人物を信任し予の事業を賛成し寧ろ冒険的に将た投機的に五百と千の金円を恵まるゝ事もあらば夫れも敢へて辞する所に非ず、無記名の寄附など最も面白からん、自家の事業を経営するの目的を以て予を利用し予を器械使するものもあらば弥々《いよいよ》以て妙ならん。夫にも叶はずとすれば或は低利を以て若しくは無利息を以て五百金許りを十ケ年間貸与せらるべき義俠心に富める人士なかるべきか、予は此五百金中二百金を以て私塾の足し前となし三百金を以て満韓地方に於ける教育と実業に関する視察を遂げ自家の門下生は申すに及ばず教育上に就ては稍無謀の傾向ある県知事関清英君の為めに免職又は非職となりたる若しくは今後為らんとすべき数百若しくは数千の教育家を彼地に移住せしめ凡そ十ケ年の予定を以て彼地に於ける富源を研究せしめ置き満十年の後天晴彼地に押し渡り内地数万の貧民を繰り出し是等先発の同志を幹部として諸種の事業を企画する事ともせば戦後経営の一端たらんか。寄附金募集の事 暫時《しばし》御見合せありたし」と申し送り置き信濃青年団へ出席の為め上京の序を以て肥料臭き廠褞袍《おゝうんぱう》を纏ふて横浜に赴き君が厚意を謝したることありたり。


信濃教育会雑誌 明治38年7月』より(前月の信濃教育会総集会演説要旨)

戰時及戰後に於ける本縣敎育に付きて 會員 保科百助君

日露戰爭は必ず兩三年繼續すべきことを説き從て普通敎育は大打擊を受けて或は全廢に至らんと極論し其時の注意を次の如く述べたり
(1)、敎育者諸君は今より充分の覺悟を望む
(2)、縣當局者も嘗ての如く周章狼敗せざらん事を望む
(3)、信濃敎育會は今より會費を一層有益に使用せよ、即ち北海道台灣カラフト等の實業及敎育の状態を視察する委員を擧げよ、
終りに昨年の大打擊の爲め敎育者か萎微したる事の非を辨ぜり