大河津資料館

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信濃川大河津資料館です。展示と魚道観察室の入り口。
魚道はしばらく見ていましたが残念ながら魚は見られませんでした。

丁寧な展示です。近くの人は何度か足を運んでもいい場所だと思います。
ただ、子供には少し難しいかもしれないので、下調べをした方がいいでしょうね。
公式サイトにもたくさん情報があります。
http://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/ohkouzu/

ちなみに、保科百助も信濃川の治水について勉強していて、明治41年信越の地勢地質を論じて信濃川の治水問題に及ぶ」という講演をして好評だったそうです。

評伝146頁 佐藤嘉市の記述(昭和3年信濃教育)より

来賓には越後側県会議員、県視学、郡長等も見えたり。開会前筆屋五無斎は控所にありて盛に筆の講釈をなし希望者に対して狂歌を御粗末なる短冊に認めて与ふ郡長某の如きも亦筆を求めて一枚を買ふ。やがて開会せらるゝや初め越後側信州側交互に演説をなす、或は言論の散漫なるを難しつゝ奮然として立ちたる吉原中野小学校長それに次ぎ信州側続々として登壇す。最後に保科五無斎君急に某氏の羽織をかりて壇上にあらはる、御得意の長広舌間々滑稽を交へて信越の地勢を概説し、次に千曲川並に信濃川流域の地質を詳細に論述し、古来幾多の水利事業に苦心せし人士を挙げ、その浚渫事業の如何に肝要なるかを論断す。一同その識見に感し、その調査の周密なる、所論の卓抜なるを感歎す、而して先の筆屋五無斎なるに更に一驚を喫す。信州側亦一段の気勢を加へ、余は「信越聯合教育会は何を以て天下に教ふべきか」の所論に気を吐いた事を思ひ出す。最後の閉会の辞終るや水内郡視学立つて長野県の万才を三唱す、五無斎せせら笑ひしながら退く。

年表を見ると明治42年に分水工事が再開しています。昭和2年には大河津分水の自在堰が壊れ補修工事が始まっています。
http://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/ohkouzu/toha/toha-history.htm

技術的に難しい話を一般の人にも共感できる形で伝えることができた、そんな人だったようです。