明治30年 海獣の頭骨化石

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明治30年(1897)地質学雑誌 第45号より、明治30年4月に神保小虎、保科百助、小林直次郎が青木村海獣の骨化石を発見した記事です。
保科百助は29年の秋、帝大の神保小虎の教室で地質学の勉強をしていますが、その翌年なので、これが神保小虎の保科百助に対する最初の訪問で、そのときの出来事かもしれません。
神保小虎はクジラ・イルカの類ではないかと推察しています。この化石は現存するのでしょうか。


神保小虎は翌明治31年(1898)8月~9月にも長野県に来ています。
保科百助も案内・同行したと思いますが、詳細はわかりません。

明治31年9月「信濃教育会雑誌」より

○神保博士の来県 同博士は蓼科山の輝石モライ山の長石及石英視察として来県し去月十三十四日登山実地の観察を遂け十五日来長しそれより白根山に登り再ひ帰長し更に柵、栄、等の村々の化石を採集し廿一日大町に出て常盤、海の口等に柘榴石、菫青石等を採集し廿六日より野口山に入り霞石、柘榴石等の産地を探ね所謂サラ越を経て立山の地獄谷を訪ふて本月八日復た大町に出て前後十余日間右等山中に宿泊して探求を遂けられしか何れも好結果なりしと云ふ


神保小虎は明治32年(1899)4月には、地質学雑誌 第67号に「信濃国東筑摩郡上川手村大口澤の脊髄骨化石」の記事を書いています。長野市の議員から送られた安曇野市田沢(旧豊科町)産のクジラの脊髄骨(脊椎骨)の化石について報告したものです。