五無斎と井上円了

テレビで井上円了を紹介しているのを見たのですが、そう言えば保科百助が井上円了の講演会のことを書いていました。どの程度実情を知っていたかわかりませんが、「慾深坊主」「第一目的は金銭を貪り集むるにあり」「法師が集金方法は頗る巧妙なり」「七八十円より一二百円位を着服するなり」などと書いています。
学校教員に金を与えて提灯持ちをさせていることも腹立たしかったようです。

五無斎保科百助評伝 352頁

文泣馬鹿士井上円了に教ゆ    五無斎保科百助
 此頃五無斎は下伊那郡教育部会の聘に応じて同郡内六十有余の学校を十一個所に分ち信州地質の講義を為し廻りたり。偖当初は旦開《あさげ》といふ所にて講演し次ぎは満島次ぎは富草次ぎは龍江といふ順序なりしを旦開富草和田及び龍江といふ順序に変更されたりし為め小川路峠を越えねばならぬ事となり道程拾五六里を迂回する事とはなりたり。是は彼の慾深坊主が満島にて講演したりしが為なりしといふ。偖文無薄士井上円了法師が入信の第一目的は金銭を貪り集むるにあり金銭を貪り集むるは四聖六賢三学弟を祀るが為なりといふ。四聖六賢三学弟を祀るといふことは極めて妙珍なる企てなり。井上円了法師自身四聖六賢三学弟以上の人物となりたらば如何。近時小学校の先生方は模範人物として二宮尊徳を推薦して毎日毎日生徒等に教授しつつあるなり。然れども或る一人を以つて模範人物とすること如何のものにや。往時古人の嘉言善行を以つて修身教授の材料となることありたりしが是も亦如何のものにや。夫子自身嘉言を製造したらば如何。又善行の三つ四つ位予じめ準備し置きたらば如何。実業之日本社の増田義人嘗つて小県郡依田窪の教育大会に於て演説して現今著名人士の成功談を為す。然れども未だ嘗つて「我輩嘗つて」なる辞なかりしなり。勝安房守や五無斎等程に「我輩嘗つて」があつて稍聞きにくからんも一ツ二ツ位無くては其演説講話に権威なし。権威なき教師の説法は殆んど馬耳東風と一般なり。偖法師が集金方法は頗る巧妙なり。例の根も葉もなき幽霊談は三四十分にて切り上げ自家製造の格言などを書き散らし扇面一枚が金五十銭半切は一円全紙は金二円絹本一枚金五円なりとの触れ込みにて一日に百枚以上二百枚位も書き散らし七八十円より一二百円位を着服するなり。偖又其一半を町村学校の先生方に分てやり其の歓心を買ひ提灯を持たす事なり。提灯持をする人はお利口者にして提灯持ちをさする人は利口者なり。利口者の善きには非れどもお利口者の悪ろきなり。お蔭にて人名辞書が買へるなどの雀躍三百啻ならざる向もあるようなれども人名辞書などが欲しくば手習でもして置いて無闇矢鱈に書いて遣り扇面一枚金一銭宛にても善し自分で寄附金を募集したらば如何。是は学校の先生方に対する不平なり。
  慾深き文無馬鹿士端字をかき 福々円瞞 得々還了
信濃公論第九三号 明治四三、八、一三)