信濃国小県郡年表の「むかでいし」

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上野尚志「信濃国小県郡年表」(明治17年)には化石の話も少しあります。
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又小泉蛇川原より竜骨石(俗にむかでいし)を出し西沢より貝化石を出す類みな会て水中にて化せしものなるべく、文化年間浦野東昌寺の後山より大なる法螺二つ出たこともありき。


信濃奇勝録では蛇川原の魚骨石を「土人むかで石と名つく」と書いていますが、上野尚志は「竜骨石」を「俗にむかでいし」としています。信濃奇勝録は臼田の井出道貞が天保5年(1834)に書き、出版されたのは明治20年(1887)なので、上野尚志が内容を知っていたかどうかはわかりません。

別所層で多く見つかる魚化石は竜骨と呼べるほど大きくはありませんが、大きさは関係なく魚化石も竜骨石と呼んでいたのか、クジラ等の大きな骨のことを考えていたのか。文章からは、大きさとは関係なく骨化石全般を竜骨石と呼んでいるような感じがします。なお、別所層からはシナノイルカなどのクジラ類の化石も見つかっています。上の写真は泉田博物館にあるクジラ化石の一部です。ただし昭和12年に発見されたものだそうです。
江戸時代、上野尚志はどこでどのような標本を見ていたのでしょう。

文化年間(1804~1817年)に出土した「大なる法螺」とはどのようなものだったのか。今も残っているでしょうか。