違い石(ちがいいし)と誓石(ちかいいし)

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写真は上田市立博物館のウェブサイトにある「ちがい石」です。
https://museum.umic.jp/hakubutsukan/collection

上記サイトより引用

ちがい石
独鈷山(とっこさん)の石英安山岩の風化によって、その班(※斑)晶である斜長石が抜け落ちたもの。二つの結晶がX字型に組み合わさったように見えることから、この名がついた。日本全国でここでしか出ない石。地元では「弘法様の誓い石」と呼ばれてきた。(『長野県地学図鑑』より)


上の文章は「長野県地学図鑑」からの引用かと思ったら、少し変えてありました。「弘法様の誓い石」は「長野県地学図鑑」には書いてありません。「班晶」は誤字。「ここ」とは、どこのこと?(曖昧表現が希望的観測を誘引して誤解を拡散するという毎度のパターン)

中性長石は他に硫黄島にもあるそうです。硫黄島のものは母岩が黒く、鶉石(うずらいし)と呼ばれます。

「誓石」は明治初めの手塚村誌にある名前です。同じ時期の手塚村誌と前山村誌で、名前と場所が異なっています。(どちらの山でも見つかります)
手塚村誌 誓石(ちかいいし) 現在の独鈷山(とっこざん)
前山村誌 違石(ちがいいし) 現在の弘法山(こうぼうやま)

隣接する地区で(競合するかのように)伝承の場所や名前が異なる一例です。


ところで、「長野県町村誌」の活字本では「違石」が「連石」になっているのですが、原典を見ると「違」の異体字の「しんにょう+麦」のようで(最後の写真)、これを「連」としたようです。

「弘法石(こうぼういし)」というのが、藤沢衛彦「日本伝説叢書 信濃の巻」大正6年(1917) にありますが、話の内容から考えると、ちがい石ではなく、経石のことのようです。


石英安山岩流紋岩とも言われます)の分布は結構広く、変質して石質も様々です。例えば、博物館にある石(3枚目の写真)は、石基より先に長石が風化するので(表面だけでなく中まで)、実際には長石の斑晶が分離することはありません。反対に石基が崩れて斑晶が浮き出ている石もあります。(違い石は実際は県内や全国各地にあるもので、自然に分離して人の目につくような場所が限られる、ということのような気もするのですが…)

 
ちがい石の謎
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