違い石(ちがいいし)と誓石(ちかいいし)

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上田市指定文化財 ちがい石の産地」の説明板です。
「●みだりに採取・採掘することを禁ずる。」となっています。

岩石の年代について以下の記述があります。

弘法山は、今から約1600万年前頃に海底火山が噴火した石英安山岩(斜長流紋岩ともいう)の溶岩や凝灰角礫岩でできており、「内村層」という地層の一部です。独鈷山も同じころの火山活動によってできたもので、輝石安山岩を主に構成されています。


ところが、この説明板が立てられたすぐ後に、周辺の岩石の放射年代測定が行なわれ、弘法山(こうぼうやま)の石英安山岩は720万年前、独鈷山(とっこざん)の輝石安山岩は990万年前という結果になりました。内村層よりずっと後の小川層の時代です。

保科百助は「通俗滑稽信州地質学の話」(明治36年)で以下のように書いています。

小県郡西塩田村大字前山の弘法山は有名なる違い石の産地にして、又本岩よりなると雖も塩田平と東西内村の境を限れる丘陵は流紋岩・ひん岩・富士岩及其集塊岩の小噴出多く、農商務省の上田図幅地質説明書には都てひん岩の着色あり、実に十杷一からげと云ふやり方にて説明も亦詳細ならず。(五無斎 保科百助全集 79頁)


保科百助から100年後の上田市誌でも独鈷山はすべて内村層の着色で、見かけ上の進歩はあまりありませんでしたが、今後は、いずれは変わることでしょうね。


ところで、ちがい石も保科五無斎ゆかりの鉱物と言われることがありますが、五無斎の名前を出すなら、最初にちがい石の分析をした比企忠の名前を先に出すべきではないでしょうか。
比企忠は明治28年3月、地質学雑誌に「信濃チガヒ石」を書き、ちがい石が中性長石であることを報告しています。保科百助が「長野県小県郡鉱物標本目録」を作成する前のことです。

 

弘法石の謎
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ちがい石の謎
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