斜長石流紋岩

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

先日また地学関係のテレビの録画を見せて頂きました。なんでも鑑定団の石鑑定大会等。
1月の「塩田城再考」の講演のビデオも見ました。遺構遺物から考えると山城よりも中世寺院に近く、南北朝時代、福沢氏が元々寺院があった場所に城を作った可能性がある、とのお話しで、すごく面白かったです。

「塩田城」の名称について『小県郡史』で「古城」となっているとのことでしたが、『小県郡史 余篇』(1922) の鉄城山の項(24頁)には「其一支峰を独鈷山(又弘法山とも)といひ(中略)塩田城は独鈷山中にあり、東麓には前山寺の伽藍あり(中略)西麓に塩野神社あり」とあります。独鈷山・弘法山と呼ばれる山は複数ありますが、東麓・西麓の記述から、この「独鈷山」は現在の塩田城のある弘法山のことでしょう。上野尚志『信濃国小県郡年表』(明治17年 1884)にも前山村独鈷山の塩田城という名前は出てきます。(復刻版32頁) ある程度ポピュラーな名称だったのではないでしょうか。

上の写真は龍光院や独鈷山風穴のある沢(塩田城の西)の岩場、細い平坦地、斜長石流紋岩~デイサイト、同様の斜長石流紋岩の拡大写真(幅約6mm)。変形した高温石英やいくつも貫入した斜長石の斑晶がある石です。
麓にゴロゴロしているのは比較的風化しにくい岩で、石垣等にもよく使われています。部分的には風化して真砂状になりやすい箇所もあるようです。

以前の関連の記事です。
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32771364
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32671194