「良い標本を持っていることがむしろ恥ずかしい」という言葉

川辺に大きな岩が2つほど崩れ落ちていて、地質の観察や鉱物採集をするのに良い場所があったのですが、先日行ってみたら、岩がすっかり砕かれていました。たぶん、鉱物採集が目的だったのだろうと思います。
工事でもない限りは見られないようなものだったので、個人的には、できるだけ大きな状態で運び出してどこかに保管、展示ができないものかと思っていました。または、分解するにしても、詳細に記録、研究されるようにできないかと思っていました。が、思っているだけで怠けている間にできなくなってしまいました。反省して教訓にするしかありません。採集品が有効に活用されることを願います。

私も夢中になって標本採集をしたことがありますが、今、そのときの標本を見ると、楽しい気持ちだけでなく、あんなただ採集するだけのようなことは今ならしない… という苦い気持ちも混じります。

悔しいような気持ちになって「良い標本を持っていることがむしろ恥ずかしい」という言葉を思い出すこともあります。そんな皮肉な物言いも、物欲があればこそですが。