コハクチョウ

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千曲川コハクチョウです。今期は12月中頃から飛来しているそうです。早いときは11月中頃に来た年もあります。
テレビ等で繁殖地の様子も知ることができるのはありがたく興味深いです。

渡り鳥関連情報 ハクチョウ・カモ類の飛来経路及び移動状況について(11年11月22日更新)
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/bird_flu/migratory/index.html

白鳥のヒナはどこ?~冬鳥がやってきた~
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005110234_00000
白鳥の冬ごし
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300649_00000
水草を食べる白鳥
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300650_00000
白鳥の子育て
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300651_00000
しぐさで合図する白鳥
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300652_00000
冬の野鳥のかんさつ
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300653_00000
ハクチョウの生活
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005400606_00000
コハクチョウの群れ
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005401419_00000

渡りの中継地(北海道、樺太カムチャッカ半島等)の映像はあまり見ませんが、越冬地とおおよそ同様の暮らし方なのでしょうか。

幼鳥の上部が灰色なのは繁殖地では保護色になって有利ということでしょうか。(水鳥は白色のものも多いので、白が目立つというわけでもないのかも…)

シンデレラの語源はハクチョウの幼鳥のことなのかなと思い、本を調べたりしたことがありますが、わかりませんでした。

平家物語(延慶本 巻六)や源平盛衰記(巻27 信濃横田川原軍事)に木曽義仲の軍勢が白鳥川原に陣を取った話があります。猫の瀬のような浅瀬があって昔からハクチョウが来ていたのかも。場所によっては強風で冬は凍えますが…

源平盛衰記 巻27 13コマ目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544858

千曲川の鳥
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/31270239
猫石 他
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35517041

サンマの骨

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サンマの下顎と鰓蓋の骨です。
1枚目の写真、左が歯骨、中央上が前鰓蓋骨、中央下が間鰓蓋骨(実際は前鰓蓋骨の下部内側に重なります。写真の前鰓蓋骨と間鰓蓋骨は他の骨とは別個体のもの。)、右上が主鰓蓋骨、右下が下鰓蓋骨。比較的大きくて魚の化石でも見つかることが多い骨です。
2枚目の写真は、歯骨・前鰓蓋骨・間鰓蓋骨が他の骨とくっついている状態。
魚の骨化石は、いくつか重なった状態で見つかることもあれば、バラバラで見つかることもあるので、骨の個々の形と重なり方がわかるような資料があるとありがたいのですが、なかなか見かけません。

3枚目の写真は先日見つけられなかった顎の小さな歯です。口の先端付近だけにありましたが、まだ見落としているかもしれません。
4枚目の写真は上咽頭歯、5枚目の写真は下咽頭歯の拡大です。どちらも後方に倒れていて、逆戻りさせないためのものでしょうか。

サンマは下顎が長く、カタクチイワシは上顎が長いですが、水面や上方の餌を捕らえるには上顎が短い方が効率が良く、水底や下方の餌を捕らえるには下顎が短い方が効率が良いということなのでしょうか。

サンマの歯
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36364133
魚の化石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34640986

美ヶ原の片石(へげいし)

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江戸時代の『信濃奇勝録』より、美ヶ原の片石(へげいし)の図です。安山岩の板状節理、いわゆる鉄平石(てっぺいせき)。諏訪や佐久では今も採石していて有名ですが、松本でも昔から屋根等に利用されていたようです。

鉄平石の里の石葺き屋根 地質ニュース569号
https://staff.aist.go.jp/sudo-gsj/chishitsu569/chishitsu569-3.html
https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news-contents.html

板状節理はマグマの流れ方と関係があるようですが、具体的な成因については、諸説あるようで、まだ確定には至っていないのかも。(または、現象・成因に複数種類あるのでしょうか。)
柱状節理はデンプンを使った実験がありますが、板状節理も類似現象を再現する実験があれば面白いですね。

佐藤景・石渡明「板状節理の形成メカニズム」(2013)
https://doi.org/10.14863/geosocabst.2013.0_212


美ヶ原の安山岩は主に角閃石複輝石安山岩で火山活動の年代は約156万年前~約132万年前(前期更新世)とのこと。(以下の論文では「塩嶺火山岩類」の「美ヶ原火山岩類」)

向井理史・三宅康幸・小坂共栄「中部日本,美ヶ原高原とその周辺地域における後期鮮新世-前期更新世の火山活動史」(2009)
https://doi.org/10.5575/geosoc.115.400
向井理史「中部日本,美ヶ原高原とその周辺地域における後期鮮新世-前期更新世の火山活動史」(2008)
https://doi.org/10.14863/geosocabst.2008.0.236.0
地質調査研究報告 Vol.58 No.1/2 (2007)
松本哲一・太田靖・星住英夫・高橋浩・西岡芳晴・三宅康幸・角田謙朗・清水正明「日本列島における年代未詳岩石のK-Ar年代測定 -地質図幅作成地域の火山岩・深成岩 (平成17年度分) -」
https://www.gsj.jp/publications/bulletin/bull2007/bull58-01.html
向井理史・小坂共栄「長野県美ヶ原高原東方から見出した安山岩溶岩のK-Ar年代」(2008)
https://doi.org/10.15080/agcjchikyukagaku.62.4_287

ちなみに諏訪の鉄平石の年代測定結果は約133万年前(前期更新世)とのこと。美ヶ原の火山活動と同時期、東御市のアケボノゾウ化石と同時期です。

地質調査所月報 Vol.49 No.5 (1998)
内海茂・中野俊・宇都浩三「20万分の1地質図幅「長野」地域の年代未詳岩石のK-Ar年代」
https://www.gsj.jp/publications/pub/bull-gsj/geppou49-05.html

諏訪市の「すわまちくらぶ」で1月末まで鉄平石の企画展を開催しているそうです。その中で年代を「およそ2400万年前」としているそうで、ニュース記事でもそのまま書かれていました。元々の出典を探してみたのですがまだ見つからず。2400万年前というと古第三紀漸新世で、グリーンタフの時代より前です…

恒例の「アケボノゾウの会」講演会は 1月19日(土)13:30~ 北御牧とのこと。
市報とうみお知らせ版 平成31年1月1日号
http://www.city.tomi.nagano.jp/category/sihou/142447.html

信濃奇勝録 巻之1(36-38コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765064

美(うつくし)か原の片石(へけいし)
美か原は山家(やまべ)のおくにて北入(きたいり)村の辺(ほとり)大(おほ)が鼻(はな)といふ山の絶頂(みね)なり此山は前に袴腰(はかまこし)といふ山ありて其後(うしろ)山なり此山の東は小縣(ちいさかた)郡西は筑摩郡にて此山を以(も)て分界(さかひ)とす其山上は平なる原也南北へ長く西へ曲りて一里半もあり西は筑摩(つかま)安曇(あつみ)二郡を望み北は埴科(はにしな)高井水内(みのち)東は小縣佐久二郡より不二(ふじ)浅間(あさま)も綿々(めん/\)と連(つらな)りて見ゆ南は諏訪を望み湖水眼下(がんか)にありさて此山の峯より半(なかば)まては寒気つよく常に霧(きり)深く寒風烈(はげ)しくして草木育(そた)ちかたくわつかに原の内は道一筋ありてみな邉白竹(くまざゝ)蕨(わらび)のみ也木は寒風に枯槁(こかう)して育(いく)せす其風霧(ふうむ)の気(き)に感(かん)してや岩壁(がんへき)みな [※耒に斤](へげ)て大なるは六七間小なるは尺に盈(みた)すみな板の如く薄(うす)く平かにて人作に片(へき)なすが如し巨大(こたい)の岩を横より見れは五六十枚或は百枚纍(るい)々として恰(あたか)も板を挽(ひき)たるか如し其岩を一枚つゝはなせは厚きものは五六分薄きものは三分に盈(みた)ず山辺(べ)の土人(さとひと)是をとり来て土庫(ぬりこめ)なとの屋根を葺(ふき)永年不朽(くちず)して瓦に勝(まさ)れり其片(へけ)石の肌(はだ)は尋常(よのつね)の如く色は淡(うす)青く黒白の班(はん)文あり至て堅(かた)き石也平直(へいちよく)に曲りなく薄くへぎ目入る事竒なり

須坂の一目髑髏

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江戸時代の『信濃奇勝録』『信濃奇区一覧』で須坂の一目髑髏(ひとつめのどくろ)について書かれた文中にある、額の穴の図です。(一目髑髏全体の絵図は無いようです。)
トランヴェール』2018年7月号ではゾウとハクジラの二説を紹介していましたが、この穴の形からも、クジラ・イルカの可能性が高いのかなと思います。(※追記:額の穴の図への言及が無かったのでこのブログ記事を書いてみたのですが、荻野慎諧著『古生物学者、妖怪を掘る―鵺の正体、鬼の真実』(2018年7月)には主要なポイントとして書かれていました。奇勝録の活字本にはこの図を正確に写していないものもあるので、本を読んでも穴の形のことを知らない人もいます。)
出土した場所が「塚」なので、埋蔵物、他所からの持ち込み品の可能性も。

筑摩郡原村(松本市 原?)の蚺虵骨(ぜんじゃこつ)も、この須坂の一目髑髏も、宝物としてどこかに所蔵されていそうにも思うのですが、わかりません。

マイルカ科(ハンドウイルカ(バンドウイルカ)等)
https://www.kahaku.go.jp/research/db/zoology/marmam/pictorial_book/list_delphinidae.html

トランヴェール 2018年7月号 [特集] 大地、海、宇宙を翔る。荒俣宏妖怪探偵団~信州の夏は、ワンダー~
https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/

大蛇の骨の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36365852

信濃奇勝録 巻之5(25コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765068

一目髑髏(ひとつめのどくろ)
須坂の普願寺(ふくわんじ)の近辺に一箇(ひとつ)の塚あり上に欅(けやき)の朽(くち)たる株(かぶ)ありて其下を穿(ほり)たりしに竒なる髑髏(とくろ)ひとつ出たり両眼の痕(あと)は窊(くぼ)く形有て穴にあらず其中に小き竅(あな)あり額(ひたひ)に [※穴の図] 如此(かくのことく)の穴一ツあり是眼(まなこ)の跡なるへし尖(とが)りたる骨数々ありて栄螺(さゞい)のごとし数多(あまた)の脚夫(にんぶ)怪物(くわいぶつ)なりとて打砕(くだか)んとせしを寺僧みてこは鬼類(おに)の頭(かうべ)なるへしとて筥(はこ)に収(をさめ)て庫中(こちう)に秘(ひ)し容易(たやすく)人に見せす 予文化十二年五月其地に遊ひ田中氏の許(もと)にて密(ひそか)に見たり上腭(うはあご)のあたり鋒骨(ほうこつ)簇々(ぞく/\)として最(いと)もあやしき物なり若(もし)かゝるものゝ生(いき)て出る事あらはいかなる禍(わさはひ)をかなすへき 一説有畧之
出雲風土記曰昔或人大原郡阿用郷作山田于時目一鬼来食
佃之男所食男云阿欲々故曰阿欲神亀三年改字書阿用

大蛇の骨の謎

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江戸時代の『信濃奇勝録』『信濃奇区一覧』より、筑摩郡の蚺虵骨(ぜんじゃこつ)の図です。松代の土鑵子(どうかんす)と同様、骨の加工品のようにも見えます。
「其骨互にくみちかひて中に筋通り」という記述があるので、図では一個だけですが、もしかしたら複数個あったのかも。(発見時には繋がっていて、ここにあるのはその中の一個だけ、という話なのかもしれませんが。)
「其筋はいまだ腐りただれず所々につきたり」とあるので、ボロボロの紐のようなものが残っていたのかも。土鑵子もそうですが、小さな穴を開けて紐を通して繋いでいたようにも思えます。化石に限らず、過去に使われた骨器、祭具、見世物とかの可能性はないでしょうか…

骨の太さは約3.6~4cmで、ヘビの骨としては大きいですが、大型の哺乳類の骨ならあり得る大きさだと思います。(例えばシカ、ウマ、イヌ科等の腰椎とか)

今までのヘビの中ではティタノボア Titanoboa (暁新世)が最大と言われていて、スケール付きの写真を見ると(ウェブ検索で見ました)、骨の太さは13cm前後で、胴の太さは約1mと推定されているそうです。同じ写真にアナコンダの骨もあって、その太さは3.5cmほど。アナコンダの胴の太さは30cm以上になるそうです。信濃奇勝録に書かれた大蛇の大きさは、現生ヘビでは最大級のアナコンダ(最長はアミメニシキヘビと言われます)と同程度になるようです。

トランヴェール』2018年7月号で『信濃奇勝録』の土鑵子、蚺虵骨、一目髑髏等が紹介されていました。蚺虵骨(ぜんじゃこつ)は沸石か?という話もありましたが、珪華や沸石が「蛇骨」と呼ばれることがあったのは確かですが、骨が「蛇骨」と呼ばれなかったわけではありませんし、図を見ると、沸石の可能性は低いような気がします。

トランヴェール 2018年7月号 [特集] 大地、海、宇宙を翔る。荒俣宏妖怪探偵団~信州の夏は、ワンダー~
https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/

土鑵子の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36343997


信濃奇勝録 巻之1(34、37コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765064

蚺虵骨(ぜんじやこつ)
浅間の温泉(いてゆ)の東北に御射(みさ)山てふ山あり此山の深(おく)は大石多くかさなりて一尺二尺の岩穴あまたあり実(げ)にも大虵(をろち)のすむへき様の所いと多し此所北を山にてふさき南も山ある間(あひ)なれは甚寒(ぢんかん)といへとも暖(あたゝか)なる地勢(ところ)にてむかしより大虵を見る事度々なりといふさて天明の頃なりしか御射山のおくに蚺虵の死したるありとて松本の人々も浅間辺(あたり)よりも人多く見に行けるを蚺虵は已(はや)いつしか死して骨のみ残れり其骨を原村といふ所まて取来りしもの有その形糸をくる篗(わく)の如く中に髄(ずい)あり四方に尖骨(とがるほね)あり其骨互(たがひ)にくみちかひて中に筋通り又尖骨(とがるほね)の先に小筋通り八方に小筋通りてあり其筋はいまた腐(くさ)りたゞれす所々につきたり骨の太さ一寸二三分もありそれを以(も)て考れは蚺虵のふとさ大抵(おほよそ)径(わたり)一尺もあるへしといへり


「暖なる地勢」というのも興味深いです。山の中には所々に温度・湿度が高い場所があって、積雪がそこだけ少なかったり、植生が周囲と異なり、シダやコケが青々としていたりします。冷風穴の上方には温風穴があることが多いそうですが、それと局所的な暖地との関係はどうなのでしょう…