保科百助 退職広告「人ノ子ヲ賊ヒシコト尠カラズ」

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小生儀明治二十四年三月本県尋常師範学校卒業以
来満十ヶ年間県下小学校教員ノ職ヲ辱フシ夫ノ人
ノ子ヲ賊ヒシコト尠カラズ衷心窃カニ安ンゼサル
モノ有之候ニ付先月三十一日限リ教職ヲ辞シ信濃
漫遊ノ途ニ上リ候間此段辱知諸君ニ広告仕候也
 明治卅四年四月  保科百助

信濃毎日新聞 明治34年4月30日)

実際に同様の退職届を提出して拒否され、退職理由を書き直しさせられたそうです。
その拒否された文面を1月後に新聞で公表したわけです。

「人ノ子ヲ賊ヒシコト尠カラズ」の意味ははっきりとはしないようです。
自分自身の能力不足、努力不足、不行状、謙遜、それとも現教育への批判でしょうか。
また、論語の内容を考えると別の解釈もできます。

論語 先進 第十一の二十五
子路、子羔をして費の宰たらしむ。子日わく、夫の人の子を賊わん。子路日く、民人有り、社稷有り、何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さん。子日わく、是の故に夫の佞者を悪む。

弟子の子路が若い子羔を費の長官にした。
孔子「彼をダメにしてしまうぞ」
子路「本を読むだけが勉強ではないでしょう」
孔子「これだから口先のうまい者は嫌だ」

出世させることに対して「賊う」と言っています。
退職広告を見た人の中には、五無斎のことだから、言葉の意味とは反対に、自分は実力のある有能な人材を多く育てたと言いたいのだろう、と考えた人もいたかもしれません。反省、謙遜、批判、自慢、様々に解釈できる文章であることを保科百助自身は意識していたでしょうか。

また、子羔と自分とを重ね合わせていたのかもしれません。
保科百助は大豆島で周囲と対立した後、新設の蓼科学校の校長になります。出世であり成功です。しかし、懐柔策を受け入れることは自分自身の志を損うことのように感じられたのではないでしょうか。もしかしたら、最初から、すぐに退職するつもりで学校新設と校長職を受け入れたのかも… 退職広告も自分が懐柔されたわけではないことを訴えるために必要だったのかもしれません。