上田城と上田泥流

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ブラタモリ真田丸スペシャルで上田泥流層(上田泥流堆積物)が紹介されていました。上田城の最重要要素の一つなのに、現地に何の案内もなく、知る人も少ないという状況でしたが、最近は、解説板が出来たり、テレビで紹介されたり、普通に取り上げられるようになってきましたね。
番組の中では「軟らかいのに崩れにくい」「水を通しにくく水を溜めやすい」「堀を造りやすい、城造りにはもってこいの地層」等、わかりやすい言葉で特徴が表現されていました。こうした説明も現地にあると良いのではないでしょうか。
9日に再放送があるそうです。
http://www.nhk.or.jp/buratamori/

上田城の築城には面白い話がいろいろあって、例えば、上田城は元々は徳川が作った城でした。当時、真田昌幸は徳川方で、対上杉、対徳川、両方の可能性を考えながら築城に加わっていたのでしょうか。上田築城前に虚空蔵山の上杉軍を攻めたりもしていますが、徳川を信用させるためのギリギリの綱渡りだったのかも。

堀跡利用については、電車の線路や駅(上田交通真田傍陽線)があった話も意外で面白いと思うのですが、割愛されたようで、ちょっと残念。

現在の上田城には真田の痕跡は基本的に残っていないという話がありましたが、堀・土塁・河川等の人工的な地形は真田時代の立派な痕跡だと思います。


上田泥流は、上田市誌『上田の地質と土壌』(2002)では11000年前以後に三方ヶ峰付近の深沢爆裂火口で発生したと推定していましたが、近年、黒斑山の山体崩壊で発生した岩屑なだれとする説が複数出されています。(時期は2万数千年前)
以下はその一つ。富樫氏は番組で上田泥流の解説をされていた方です。

長野県環境保全研究所研究報告 第11号
上田盆地の地形発達と上田泥流の起源」富樫均,横山裕
http://www.pref.nagano.lg.jp/kanken/johotekyo/kenkyuhokoku/hozen/

上田盆地の地形発達史から特定された上田泥流の起源」富樫均,横山裕
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2014/0/2014_283/_article


ちなみに上州の廐橋城(前橋城)も同じ岩屑なだれ(前橋泥流)の台地を利用して作られたそうです。廐橋城は武田滅亡後に滝川一益が入った城で、配下の領主の証人(人質)もここに集められたのでしょう。真田からは昌幸の母や信繁(弁丸)が行ったとも。本能寺の変の後、人質は滝川一益から木曽義昌に引き渡され、徳川家康に引き渡され、その後ようやく戻ることができたようです。「真田丸」ではどんな風に描かれるのでしょう。