焼餅石と緑色のうぐいす餡の謎

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写真は上田創造館にあった緑簾石と石英の標本です。黄褐色の粒は褐鉄鉱だと思います。

武石の焼餅石の緑簾石をうぐいす餡に見立てることがあります。武石公民館の焼餅石の展示の解説でもそうでした。
しかし、現在のような「緑色のうぐいす餡」ができたのは、戦後のことだとも言われています。緑簾石をうぐいす餡に見立てるようになったのは比較的最近のことなのかもしれません。

保科百助『長野県小県郡鉱物標本目録』(明治28・29年)には「白アン黒アント云フ」とあり、武石で「黒餡」と呼んでいたことがわかります。

草下英明『鉱物採集フィールドガイド』(1988) 166頁に「地元の人は、これが青豆でつくったうぐいすあんがつまっている焼き餅と見立てて、やきもち石と称したわけだ。」とあります。これが最初かどうかわかりませんが、直接・間接に、この本を根拠にしていることが多いのではないでしょうか。

しかし、この本の記述は「地元の人から聞いた」という書き方ではなく、根拠も示されてはいません。個人的な推測・思いつきである可能性もあると思います。
(この本に限りませんが、理科系の本では、歴史や民俗について正確に書こうという意識が低いのか、間違いや決め付けが結構あります。)

うぐいす餡について調べてみると、明治23年頃に青エンドウを使った煮豆が考案され、ウグイスの羽の色のようだったので「うぐいす豆」と名付けたという話(日本食品新聞社のウェブページより)と、明治中期に東京の梅花亭という菓子店で青エンドウの餡を初めて使用したという話が見つかりました。(2店あって関係性はわかりませんでした。)
ただし、これらは現在のような緑色の餡ではなかったかもしれません。ウグイスの羽の色は緑ではなく薄茶色です。

「緑色のうぐいす餡」の焼餅(おやき)は本当にあったのでしょうか?
明確な根拠があるわけではありませんが、青菜の餡がイメージされていたと考える方が自然ではないのかなと思います。