焼餅石と焼き餅(やきもち)

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写真は、上田市立博物館の武石村産の焼餅石(やきもちいし)、おやき(野沢菜の餡)、上田創造館の囲炉裏、へっつい(かまど)の展示です。


焼餅石の「焼餅」というのは、今で言う「おやき」(小麦粉などで作った饅頭のようなもので、郷土食の一つ)のことです。
おやきは今も残っていますが、「焼き餅」という呼び方は少なくなりました。今では、「焼き餅」と聞くと、餅米から作った角餅(切り餅)や丸餅を焼いたもの、または、嫉妬の意味の「やきもち」という言葉を思い浮かべる人が多く、そのため、焼餅石を見ても、なぜ「焼餅」と呼ばれるのかよくわからない、という人も多いのではないでしょうか。
焼餅がおやきのことだとわかれば、(おやきを知っている人なら)「なるほど、似ている」と思われるのではないかと思います。

人はその土地で得られる食材を、それぞれに適した方法で調理して食べてきました。稲作をする所では米を食べ、米以外の麦や蕎麦などを作る所では、それも日常的に食べました。焼き餅はそういう日常食の中の一つでした。
地方や家庭によって、材料、作り方、食べ方、呼び方が様々なので、一つに定義することはできないのですが、長野県の中部や北部で言う焼き餅・おやきは、小麦粉などを水で溶き、練って生地を作り、野菜などで作った餡を生地で包んで、丸め、囲炉裏やかまどで焼いたり、蒸したりして作ったものです。囲炉裏がある家では、囲炉裏の火で表面をあぶってから、灰の中に入れて蒸し焼きにしました。(囲炉裏に火を入れているなら、その火で調理する方が燃料の節約になります。かまどでは、焼くよりも蒸す方が早く、少ない燃料で調理ができました。)

焼き餅・おやきは持ち運びがしやすく、携帯食でもありました。前日に作っておいて、外の仕事に持参し、朝食や昼食に食べたりしました。

焼き餅・おやきは日常食であると同時に行事食でもあり、お盆に食べる風習は今も各地に残っています。

昔の人は、丸く、中に空洞があって、餡が入っているように見える石を、身近な食べ物である焼き餅や饅頭に見立てて、「焼餅石」「饅頭石」などと呼びました。
武石村の緑簾石の入ったノジュール(丸い塊)は、野沢菜や大根葉などの青菜の餡の入った焼き餅に見立てたのではないでしょうか。舞田峠や浦里村の黄色い褐鉄鉱のノジュールは、大根、大豆、かぼちゃなどの餡の入った焼き餅に見立てたのかもしれません。
(「緑色のうぐいす餡」や黄身餡の入った餅に見立てるのは、現代人による現代的な見立てであって、昔からのものとは考えにくいです。)

個人的な体験では、子供の頃、お盆や七夕の朝昼に祖母が作ったおやき(蒸かし、小豆餡、ナス餡)を食べた記憶があります。当時のものに比べると、今の市販品はもちろん、家庭で作ったものも、とても美味しいように感じます。

参考リンクと関連の記事です。

おやき(焼き餅)
http://www.82bunka.or.jp/research/local_food/2013/01/post-1.php

おやきに関する食習慣
http://www.fukikko-oyaki.com/hpgen/HPB/entries/15.html

明治28年 緑簾石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/2639351

焼餅石と饅頭石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/29340063

武石公民館の焼餅石の展示
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34979599

焼餅石と緑色のうぐいす餡の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34981862