鳴石(なるいし)の謎

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諏訪部の鳴石(諏訪泉神社境内)を見てきました。江戸時代末の井出道貞『信濃奇勝録』に載っている石です。瓢箪形のくぼみとそこにある穴について書いていて、図ではくぼみのある側を前面としていますが、現在はそれが後ろ側になっていました。何か由縁があるのかも。(「前面」の穴と「後背」の小さな穴とはつながってはいません。)

「今は城中の物となれり」とあり、井出道貞(1756-1839)がこれを書いた頃には上田城のどこかに移されていたようです。あるいは「社地」が別の場所で、今ある場所を「城中」と呼んだのか?
1805年(文化2年)から1839年というと、上田藩主は松平忠済(4代藩主1783-1812)、松平忠学(5代藩主1812~1830)、松平忠優(忠固)(6代藩主1830~1859)。誰がどういう理由で移したのか、記録が残っていたら面白いですね。

下の写真2枚は石の表面です。安山岩~ひん岩でしょうか。
大きさや形から、それほど遠くではないと思うのですが、どこの石でしょう。

井出道貞『信濃奇勝録』巻之3 29コマ目
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765066

鳴石《なるいし》
文化二年四月上田の西諏方部《すはべ》村の人ゝ相誘《あひいさな》ひ産土《うふすな》神の社地を展《ひろむ》るとて千曲河原より石を運《はこ》びけるか 水中にて一箇《ひとつ》の竒石を得たり 其色青 其形三角 上 鋭《とがり》下平にして皴文《しゆんもん》なし 中に坳《くほ》き所有 形 胡蘆《ひさご》の如し 其上辺に穴あり 穴中 法螺《ほらかひ》の纏《まとふ》がごとし これを吹は鳴声 哱囉《ほらかひ》の如く五六丁に聞ゆ 里人異《い》石なりとて社地に安置《あんち》し注連《しめ》を曳《ひき》て神の如くす 其頃遠近伝へ聞てみる者日ゝに市の如し 今は城中の物となれり

(前面 青色 高二尺七寸 後背 周圍六尺三寸)