大正橋の赤い小石の謎

赤い小石(大正橋)

赤い小石(拡大)

赤い小石(伝説)

赤い小石(千曲川)

戸倉上山田温泉の大正橋(2002年)の歩道に埋め込まれたレッドジャスパーの磨き小石です。
全部で99個あるそうです。
橋の袂に「恋しの湯の伝説」についての案内があります。(3枚目の写真。下に内容を書きました。)

 

ところが、『戸倉町誌 第一巻 民俗編』(1991)や『上山田町史』(1963)には、「恋しの湯」「小石の湯」の名称も伝説も、記載がありませんでした。

 

この話を収録している民話集としては、浅川かよ子(1917-2011)『更級埴科の民話』(1979)(初版は1976?)、長野広域行政組合刊『長野地域民話集 昔々あるところに』(1993) 等がありました。

 

伝説は特定の場所や物と結び付くものですが、この話は、川原の温泉の他には、場所や物に明確には結び付いていません。
民話の場所は、『更級埴科の民話』では戸倉町、『長野地域民話集』では上山田温泉です。
観音様については、『更級埴科の民話』では(戸倉生まれと思われるお政が)「小さい時から信心していた観音さま」、『長野地域民話集』では「十一面観音」(上山田の智識寺にある重要文化財の木像)になっています。

 

なにより赤い石の正体が不明です。どの石のことなのでしょう? 大正橋の赤い石もこの付近で見つかるものではなく、別の産地のものでしょう。

 

その一方で、人名は明確で、共通しています。
伝説としては不自然な点が多いです。これも創作民話から伝承へ転換したものなのかも…

 

桜石と鬼の伝説(創作民話)を思い出しました。ウェブを検索してみると、伝承として広めている人が今もいるようです。
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/19779135
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34754513

 

一番下の写真は、試しに千曲川の川原で集めた赤い小石です。10分で20個ほど。安山岩とチャートです。観音様が「佐渡や海外産のレッドジャスパーのような石じゃないとだめ」とか、いろいろ条件を付けるなら見つからないかもしれませんが、こだわらなければ(場所にもよりますが)赤い小石100個は十分見つかるように思います。

 

『更級埴科の民話』の「あとがき」には「埴科郡口碑伝説集、善光寺道名作図解、桑原村誌、坂城の伝説、たららね等を道しるべに、更級埴科の民話を三年がかりでまとめさせていただきました。」とあります。
(「善光寺道名作図解」は「善光寺道名所図会」か? 「たららね」は「たらちね」か?)
善光寺道名所図会』『桑原村誌』は見てみましたが該当する話は見つかりませんでした。その他の資料についてはわかりませんでした。
埴科郡口碑伝説集』は、もしかしたら須藤紫水の書いたものかも。(『郷土の伝説 東信の巻』(1959)の「あとがき」に「次いで昭和三十二年夏には更埴の伝説を調べて再び北信毎日新聞に発表」とあります。北信毎日新聞上田市立図書館等で所蔵しているそうなので、閲覧できるなら調べてみたいです。)

 

『長野地域民話集』では出典について「信濃教育会出版部 戸倉上山田温泉観光ガイドブック より 作・浅川かよ子 さし絵・観光ガイドブック 採集地・上山田温泉」とあります。このガイドブックは図書館では見つかりませんでした。
「作・浅川かよ子」とあるので『更級埴科の民話』を基にしたのかと思いますが、内容は異なる点も多いです。(これも奇妙)

 

話の要約は以下の通りです。
お政は米吉と恋仲となる(または、結婚する)が、米吉は江戸へ行き、帰ってこない。
観音様が夢枕に立ち、川原の赤い小石を100個奉納すれば米吉は帰ってくると告げる。
赤い小石は1個も見つからなかったが、2年後、観音様に導かれ対岸で1日で99個見つけ、さらに川原で温泉を見つけ、そこで100個目を見つける。
(または、99個は見つけたが最後の1個が見つからず、2年後(または、冬になり)川原で温泉を見つけ、そこで100個目を見つける。)
7日後(またはその日)米吉は帰ってきた。

 

相違点を表にしてみました。

 

  更級埴科の民話 長野地域民話集 大正橋の案内板
発行年 1976? 1993 2002
場所 戸倉町 上山田温泉 上山田?
年代 むかし 元禄の頃 むかし
人物 お政 米吉(対岸の隣村の人) お政 米吉(地元の人) お政 米吉(江戸からの旅人)
関係 14歳春に出会い 恋仲 17歳春に出会い 恋仲 ある日出会い 結婚
江戸行き 14歳の秋 17歳の秋 ある秋
夢枕 17歳の春 観音様 17歳の秋~冬 十一面観音 ある秋 観音様
万葉歌 なし あり なし
石探し 2年間1個も見つからない。
19歳春、対岸で1日で99個見つける。
日暮れ後、温泉を見つけ100個目を見つける。
2年間で99個見つけ100個目が見つからない。
19歳冬、温泉を見つけ100個目を見つける。
99個見つけ100個目が見つからない。
冬、温泉を見つけ100個目を見つける。
帰郷 7日後 その日 ほどなく

『長野地域民話集』では万葉歌「信濃なる千曲の川の細石(さざれし)も君し踏みてば玉と拾はむ」が出てきます。(歌の意味(踏んだら宝石)と民話の内容(赤い石に限定)は、かみ合っていないような)

 

大正橋の案内板の内容は以下の通りです。

 

恋しの湯の伝説
むかしむかし、ここ千曲川のほとりにお政という美しい娘がおりました。
ある日のこと、江戸からの長旅の途中で病に伏せる若い男、米吉を救ってやりました。
やがて二人は恋仲となり、めでたく祝言をあげ、村人たちも羨ましがるほど仲睦まじく暮らしておりました。
ところがある秋のこと、米吉が江戸へ用向きで旅立ったまま音沙汰が無くなってしまいました。
お政は途方に暮れ、ふさぎ込んでおりました。ある夜のこと、夢枕に観音様がお立ちになり、「米吉を救いたくば千曲川原の赤い石を百個奉納しなさい。」と言って消えてしまわれました。
それからというもの、お政はただ一心に赤い小石を探し求め、どうにか九十九の小石を見つけだしましたが、百個目の石がどうしても見つかりません。
やがて冬がきて、身も凍えそうなある日、一条の湯気が立ち上り、こんこんと湯の湧き出る不思議な場所から輝くような百個目の赤い石を探しあてました。
そうそうに観音様に奉納すると、ほどなく愛しい米吉は無事お政のもとへ戻ったということです。
この話を聞いた村人たちは、恋しい人のために小石を探してみつけたこの湯を「こいし(恋し)の湯」と名付けました。これは戸倉・上山田温泉の昔の湯のことです。
大正橋では、このいいつたえをもとにして、歩道に赤い石を埋め込んであります。
もしも、お政のように百個の赤い石を見つけることができたなら、あなたの願い事もかなうかも知れません。

 

『更級埴科の民話』(104頁)にあるお政の歌です。女性の強い気持ちと血の色が歌われていて、太郎山の「つつじの乙女」にも通じるような感じ。

 

 木の根草の根わけてもさがそ
 千曲の川べで赤い石さがそ
 石は血の色わたしのこころ
 百個ひろって観音さまに
 あげて逢いたい恋しい方に

 

戸倉町誌 第一巻 民俗編』によると、昭和の初めに新戸倉温泉(観世温泉)を開いた坂井直治郎氏は、千手観音菩薩像を深く信仰して、温泉掘削の資金を集めるときに、観音様のお告げがあった、と言っていたそうです。
民話の夢枕に立つ観音様のモチーフは、この話から来ている可能性も。