なきにあらねど

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こんな雲が並んでいるのを見て「玄能石雲だ」と思ってしまうのは石好きだけでしょうね。(1枚目の写真)

保科百助の狂歌「つきみればつちにのみこそ悲しけれ玄能石のなきにあらねど」の短冊には、署名が「山部石人」のものと「五無斎」のものがあります。(2枚目の画像は立科町の展示品(信濃教育会参考館蔵の短冊のコピー)、3枚目の画像は『五無斎保科百助評伝』485頁より)

『五無斎保科百助評伝』(1969) に「五無斎」署名の短冊が載っているのですが、この本では「あらねど」を「あうわと」と読んでいます。(485頁、511頁)
「ね」が「わ」に見えるためだと思いますが、結びの位置で筆を止めているようにも見えるので、これは「ね」と読む方が適当ではないかと思います。(4枚目左端の写真。その右は背景模様を確認するための別の短冊)

「なきにあうわと」は不自然な感じがしますし、「遭う」の意味なら「あふ」と書くのではないかと思います。(『よいかゝをほしな百首け』「其四 元日に逢ふたび毎に思ふ哉 今年はどうかかゝをほしなと」等)

百人一首大江千里の歌のもじりとしては、「あうわと」では元歌の表現から少し離れます。

「ら」と「う」の文字は崩すとどちらにも読めてしまいます。(4枚目右側の写真。「あ[ら]ねど」「お半のや[う]な」「なまいきな[ら]ぬ」。『五無斎保科百助評伝』451頁、447頁より)

「土にのみ」と「なきにあらねど」は、意味は相反しますが、地学標本製作のための採集の歌だと考えれば、「岩を割ってみたがほとんどどれも土ばかりで悲しくなる。まったく無いわけではないけれど、標本用にたくさん必要なのに全然足りない」と解釈できて、不自然さはありません。


なお、二つの短冊は冒頭の文も少し異なっています。

金槌石鑿なんど携へつゝ浦里山に玄能石を採集し侍りけるに
十六日夜の月ひんがし山の上に出てはか/\しき得物もあらざりければ
 つき見ればつちにのみこそ悲しけれ 玄能石のなきにあらねど 山部石人

金槌石鑿なんど携へつ浦里山に玄能石を採集し侍りけるに
十六日夜の月はひんがし山の上に出て思はしき得物もあらざりければ悲しくて
 つき見ればつちにのみこそ悲しけれ 玄能石のなきにあらねど 五無斎


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ほしな百首け
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