明治28年 緑簾石

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写真は千曲川の川原の石です。黄緑色の細かい結晶がありますが、これも緑簾石。

明治28年に緑簾石(焼餅石)を発見」と書くと「緑簾石=焼餅石」「それまで誰も知らなかった緑簾石を初めて見つけた」と解釈されてしまいそうですが、どちらも誤解です。

「緑簾石」は鉱物名。Epidote エピドート。
「焼餅石」は焼餅に見立てられる石のことで、丸く、中に空間がある石をこう呼ぶことが多いです。石の質は問いません。実際いろいろな種類があります。また「饅頭石」「鳴石」「鈴石」など別の名前で呼ばれることもあります。

本来「焼餅石」というだけではどの種類の石か決められないのですが、武石村の緑簾石入りの焼餅石が有名になり、研究者や愛好家の間では「焼餅石」と言えば緑簾石入りのものが第一に思い浮かべられるようになりました。

ちなみに「焼餅」は餅米で作った餅を連想するかもしれませんが、以前は「焼餅」と言えば、小麦や蕎麦で作った、いわゆる「おやき」のこと。

緑簾石について地質学雑誌では明治27年11月第2巻14号に篠本二郎の記事があります。
産地として挙げられているのは、膽振国日高郡浦川、陸中釜石鉄山、飛騨国吉城郡神岡村大富本ヒ(金へんに通)、及同郡東漆鉛山、信濃国北佐久郡芦田村、美濃国加茂郡飯地字奥屋山、及美作国東北條郡加茂村。
東京にはこれら国内産標本と外国産標本があったはずで、緑簾石の鑑定は難しいことではなかったでしょう。

保科百助のところに焼餅石を最初に持ってきたのは小学校の生徒。もちろん地元の人は昔からこの焼餅石を知っていました。

保科百助は本当にこのときまで緑簾石を知らなかったのでしょうか? ちょっと不思議。
というのは、焼餅石は珍しいかもしれませんが、緑簾石はこの辺りではありふれた鉱物です。少し大きな川原に行けばすぐに見つかります。

前記の緑簾石の産地の一つ、北佐久郡芦田村は保科百助が生まれた横鳥村の隣村。

 

焼餅石と饅頭石
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/29340063
武石公民館の焼餅石の展示
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34979599
焼餅石と緑色のうぐいす餡の謎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34981862
焼餅石と焼き餅(やきもち)
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35087922
保科百助の学習会と『信濃公論 復刻版』
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/34779062
「長野県小県郡鉱物標本目録」の時期
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/3002451