江戸時代の蛇骨石

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信州デジくらに江戸時代の蛇骨石の伝説がありました。

『俚言考 巻之一』(小県郡古跡地名考)(嘉永5 1852)
里人譚 小縣郡部

産川 附 虵骨石の話 塩田野倉村の奥より出て上田原にて浦能川へ落る塩田川をよへり 里人云 上古此奥に白龍住り犀と契りて一男子を生む 是泉小次郎なりと 其住る地は手塚の上の窟なりと 今虵骨石とて此川の石に白き骨の如きもの付てあるは此故なり 此子を生しより産川とよふとそ


「手塚の上の窟」は鞍が淵でしょうか。「この川の石に白き骨の如きもの付きてあるは」という表現は、明治以降の例えば「大蛇の遺骨は川に流れて蛇骨石となり、その下流に散らばった」という表現よりも具体的で、実際に川原の石を見ていたのかも。(上の写真は千曲川の転石の表面に見えている沸石類です。)

「白龍」「犀」は、泉小太郎伝説(犀龍と白龍王)と類似で、『信府統記』(1724)の影響でしょうか。ここでは白龍が母親のようです。(泉小太郎伝説は、犀龍(川)から泉小太郎(堰止湖)が生まれ、犀龍(川)が小太郎を連れて(堰止湖を壊して)海へ下るというメタファーにもなっています。)

「泉小次郎」は泉小次郎親衡で、『吾妻鏡』(東鏡)(巻第21 建暦3年)や森島中良(1754?-1810 二代目 福内鬼外)『泉親衡物語』(文化6 1809)が関連します。
江戸時代には「泉小次郎」の方がメジャーだったのかもしれません。「小泉小太郎」は明治初めの「前山村誌」にあり(名前のみ。手塚村誌には子供の名前はありません)、明治末以降は小山真夫(1882-1937)の記述が普及して、現在はほぼ「小泉小太郎」だけになっています。

産川の由来話も江戸時代は一般には龍だったのかも。付近では蛇の名称はあまり聞きませんが、龍の名称は、龍坂、龍王山(中禅寺)、龍光院、塩野神社の龍の伝説、龍王湧水等、多く耳にします。龍の骨を「蛇骨」と呼んだり、はっきり区別はしていなかったのかもしれませんが。

江戸時代後期に薬の「蛇骨」が地方でも知られるようになり、沸石類が「蛇骨」と同一視され、産川の由来話が龍から蛇に置き換わり、日本書紀古事記平家物語等の三輪山式伝説が導入され、今の鞍が淵の話が成立したという可能性もあるのではと思っています。

小泉小太郎の萩の話は、怪力伝説と禿山の由来話(この話では萩だけですが)でしょうか。類似の話はわかりません。雷電、工藤孫兵衛、五郎右衛門、文太左衛門、しっこう加右衛門、鬼杢兵衛には同じ話は無いようです。(しっこう加右衛門(しつこう加右衞門)に、一束の薪がしばった青竹をほどいたら九束になったという話があります。)小泉、仁古田、加美畑神社に小泉小太郎の短い話があるようですが、これらの詳細や関連もまだわかりません。(小泉村を流れているのは浦野川なので、産川とは無縁の小泉小太郎伝説があって、その一部が明治期に産川の由来話に付加されたという可能性もあるかと。)
薪採りには日数・量等の制限があったので、山中の萩を一日で小さな束にしたことに意味があったのでしょう。
体のアザの話は異所性蒙古斑、あばた等の由来話でしょうか。平家物語に類似の話(胝、あかがり)があります。(平家物語 巻第八 緒環)


[小県郡古跡地名考] 写 (嘉永5年10月29日 1852)
(『管見録 小縣郡部』と同じ筆跡・日付・体裁。表紙に『俚言考 巻之一』と筆書きがあり、左上に「小県郡古跡地名考」と書いた紙が貼ってある。「写」の意味はこの画像からはわからず。『管見録 小縣郡部』も写し?)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0622101700

管見録 (嘉永5年10月29日 1852)
(上野尚志『信濃国小県郡年表』原稿と同じ筆跡か?)
https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD0622106200

信府統記 巻5 (26コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765132
日本書紀 巻第五 崇神天皇十年九月 (41コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544342
古事記伝 第7巻 (196コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041648
日本書紀 巻第二 神代下 第十段一書 (34コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544341
古事記伝 第5巻 鵜羽産屋の段 (279コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041648
平家物語 巻第八 (12コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570064
平家物語 巻第八 (12コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570044
平家物語 巻第八 (19コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543849
平家物語 巻第八 (16コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544829
平家物語 巻第八・緒環 『豊後国は…』(原文・現代語訳)
http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/heike/08/0303.html
新刊吾妻鏡 巻第二十一 建暦三年二月十五日 (49-51コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544202
新刊吾妻鏡 巻19-21(51-53コマ目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2599728
森島中良(1754?-1810 二代目 福内鬼外)『泉親衡物語』(文化6 1809)
http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_B_100229923


現代の伝説捏造の事例です。
日本遺産用に脚色した、地域の実情に合わない創作民話を、郷土史の本や現地の案内看板を無視して、昔からの伝説として SNS で宣伝…
新しい鞍が淵伝説
https://kengaku2.blogspot.com/2020/10/blog-post_27.html

 
小泉小太郎と泉小太郎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32564782
産川・蛇骨石の名前の由来と小泉小太郎
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/32595594
龍の雪形など
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35057721
龍の雪形
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35624120
舎利と蛇骨
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/35544240
鞍が淵の伝説と沙石集
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/28595808

亀石いろいろ

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信濃奇勝録にある小諸の亀石の2つの図です。亀石と呼ばれる石は各地にあって、これは砂泥層の褐鉄鉱質の塊りだそうです。明治時代には保科百助も採集しました。(数の不足等のため「長野県地学標本」には入っていません。)矢澤米三郎や八木貞助も調査しています。学校等に昔の標本があるかもしれませんが、たぶんほとんどは、特徴の少ない赤黒い石で、捨てられてしまったものもあるかも… また、黄鉄鉱・白鉄鉱を含むものだと、分解して残っていない可能性も。

信濃奇勝録では、色は黒赤、両面に文様、長さ約10cm、似像の物((亀の甲羅に)模様や形が似ているもの)、筋(文様の線の部分?)は低い(凹の意味か?)、としています。図の一つ(下側)はカメの甲羅に似ていますが、文様が少し違っていて、化石である可能性は低いでしょうか。偶々化石が混じっている可能性はなくはないですが、それを思わせる記述(他の石との違いについての言及等)はありません。

焼餅石、鳴石、鈴石、壺石、禹余糧等の褐鉄鉱質のノジュールは外国ではどのように呼ばれているのかと思い、検索してみたところ、limonite limonitum iron iron-oxide 等と nodule concretion geode 等の言葉が使われているようでした。他には、septarian, tortoise / turtle stone, crocodile cracking など。

Iron-Oxide Concretions and Nodules
http://meteorites.wustl.edu/id/concretions.htm

信濃奇勝録 巻之3
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765066

地質ニュース 2001年7月号 No.563 加藤碵一・遠藤祐二「石の俗称 亀と石」
https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news2001-07.html

大きな岩

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1枚目の写真は沢の転石で、細長い形の岩が大岩の下敷きになって突き出ている様子から、亀石と呼ばれるのを以前聞いたことがありますが、詳細は不明で呼称の分布も不明。たぶん気にして見る人はいないのでしょう。

2枚目の写真は尾根筋の大岩で、こちらは鬼の砦と呼ばれるのを聞いたことがありますが、岩壁はあちこちにあるので、特定の岩のことではなかったのかもしれません。夏は樹木に隠れて下方からは見えにくくなります。

谷底や山麓の巨石には高所から崩落してきたものもあると思います。(沢筋の土石流とは別に)この辺りまでまた届くかもしれないという警告メッセージでしょうか。千年万年に一度あるかないか、という話かもしれませんが。


平賀源内が『天狗髑髏鑒定縁起』の中で、人命にかかわるものでなく、人々が歓ぶなら、天狗の髑髏としておくのも良いという話を書いていました。不確実な事については今でも通じるような考えだと思いますが、人を楽しませるために、聞きかじりの不確実な話を、確認無しに、昔からの伝承だとか、事実であるかのように言うのは、迷惑なことだとも思います。(偉い先生こそ、不確かなことをどれほど日常的に言っているか、言わざるを得ないのかを人に伝えてほしいです… 偉い先生の言うことや本に書いてあることなら間違いを伝えたとしても自分の責任ではないと考える人もいて、無責任は連鎖します)

天狗髑髏(てんぐ しゃれこうべ
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36390092

天狗髑髏(てんぐ しゃれこうべ)

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「須坂の一目髑髏」の記事に書いたトランベール7月号の6頁に「天狗髑髏」の写真がありますが、説明はウェブの記事中には見つからず、どうも平賀源内(1728-1780)『天狗髑髏鑒定縁起』(てんぐ しゃれこうべ めきき えんぎ)のことのようで、それにちなんだクジラ類の頭骨標本でしょうか。この話は跋文によると創作のようで、描かれた頭骨は実在した可能性が高いと思いますが、発見の経緯等どこまで事実かわかりません。天狗についての考察というよりも、天狗に関する諸説を題材にして、本草学・医学のあり方を寓話化した批評文でしょうか。
「天狗髑髏圖」はクジラ類の頭骨・上顎を下から見たもの。「ぼうごる すとろいす」はダチョウ(vogel struis、struisvogel、vogelは鳥)、「うにかうる」はユニコーンのことだそうです。

福田安典「風来山人「天狗髑髏鑒定縁起」考」(1987)
http://hdl.handle.net/11094/47844
トランヴェール 2018年7月号 [特集] 大地、海、宇宙を翔る。荒俣宏妖怪探偵団~信州の夏は、ワンダー~
https://www.jreast.co.jp/railway/trainvert/
須坂の一目髑髏
https://kengaku5.hatenablog.com/entry/36366736

風来山人(平賀源内)『天狗髑髏鑒定縁起』(安永5 1776、明和7 1770)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534181

(※字体は一致しません。誤読もあるかもしれません。)

天狗髑髏圖
頭(かしら)大サ六寸余
觜(くちばし)七寸余
目(め)のことく成穴一寸五分程
耳(みゝ)の穴二寸 牙(きば)五分程
咽(のど)のことくの穴二ッ
都(すべて)一尺二寸余

天狗髑髏鑒定縁起(てんぐしやれかうべめきゑんき)
明和七ッのとし菊月末の四日。門人來りて藥物の眞僞(しんぎ)を論(ろん)す。折ふし扉(とぼそ)を叩(たゝ)くものは大場豊水なり。一(ひとつ)の異物を携(たづさ)へ來りて曰。昨夜天狗を夢む。今朝夢さめて思ふに。けふは廿四日にて愛宕の縁日なれはとて芝の愛宕に詣けるに。門前櫻川と号する小流の中に怪(あや)しき物あり。拾(ひろひ)上て泥土(でいど)の穢(けかれ)を洗去れは。しか/\の物なりとて筐(はこ)を開て取出し。けふ此品を得て歸るさの道にて。見るもの皆天狗の髑髏(しやれかうべ)なりとて市をなせとも。固(もとより)俗人の億見(あてずいりやう)證(しよう)とするに足らす希は先生眞僞(しんぎ)を弁ぜよと。
予諾(たく)して門人に告て各其志をいはしむ。一人が曰。これ大鳥の頭なり。阿蘭陀のぼうごる。すとろいすならんと。又一人曰。蠻夷(ばんい)の大鳥たりとも斯まて大には有べからす。これ大魚の頭骨(かしらのほね)ならんと。反覆(はんふく)上下の論。異説まち/\にして衆儀(しゆぎ)一決せず。
予曰。これ天狗のしやれかうべなり。門人驚て曰。夫れ倭俗(わぞく)の天狗と称するものは全く魑魅魍魎(ちみもうれう)を指すなれとも。定れる形有べふもあらず。然るに今世に天狗を画くに。鼻高きは。心の高慢(かうまん)鼻にあらはるゝを標(へう)して大天狗の容(かたち)とし。又觜(くちばし)の長きは。駄口(だくち)を利(きゝ)て差出たがる木の葉天狗溝(みそ)飛(とび)天狗の形状(すがた)なり。翅(はね)ありて草鞋(わらぢ)をはくは。飛もしつ歩行(あるき)もする自由にかたどる。杉の梢に住居すれとも。店賃を出さゞるは橫着(わうちやく)者なり。羽扇(はうちわ)はもの入をいとふ悋嗇(しわんばう)に譬(ひ)す。これ皆画工の思ひ付にて。実に此(かく)のことき物あるにはあらす。聖人も怪力亂神(くわいりよくらんしん)を語らすとことその玉へ。いま是を天狗の髑髏也とは我々を欺(あざむ)き玉ふや。
予曰。諸子の疑その理なきにあらす。去なから我微(び)意を悟(さとら)ずんはいささらば語り聞さん。古人の曰。藥を賣(うる)ものは兩眼。藥を用る者は一眼。藥を服する者は無眼とはとつと昔の譬(たとへ)。今時の醫者といふは。武士の子なれは惰弱(だじやく)者。百性なれは疎懶(ぶしやう)者。町人なれは商を爲(し)得す。職人なれは無器用者にて。糊口(くちすぎ)を爲(し)兼るもの醫者にでもならふといふ。これを号て。でも醫者とてあたまぐるりの長羽織。見えと座なり計にて。藥の事は陳皮もしらす。長屋(こ?)も露路(ろし)も踏(ふむ)もすべるもそこらだらけが醫者だらけ。藥種屋も盲(めくら)。醫者もめくら。病家は猶盲故。臭橘(からたち)を枳殼(きこく)とし鼠麹草(はゝごくさ)を芫花(けんくわ)とし。鯨の牙をうにかうるとし。氣蠜(へつひりむし)を[※庶の下に虫]虫(しやちう)とし。翻(かはら)白菜(ざいこ)を紫胡(さいこ)と心得。廣東(かんとう)人参を人参と思ふ。其外千變萬化の大間違。されとも浮世は盲千人。はくらんの藥ははくらん病が買習なれは。是を賣もの家蔵を建(たて)。これを用るもの四枚肩(しまいかた)に乗。これを呑者往生(わうじやう)の素懐(そく?はゐ)をとげなから。恨(うらみ)もせねば気の毒なとも思はす。嗚呼(あゝ)悲しきかな文盲(もんもう)なるかな。
予これを憂(うれへ)て藥物の眞僞を正し。世上の醫者の目を明んとて千辛万苦(せんしんばんく)すれば。うぬらが心に引當て山などゝの取沙汰。智者は水を樂(このみ)。仁者は山を樂(このむ)。后稷は農を敎(をし)え。禹王は水を治(をさ)む。過(すぎ)たるをはふき。足さるを補ふは聖人のいさをしなり。山のやまなる山の芋。鰻[※魚へんに廉の異体字](うなぎ)とならで朽果なは。薯蕷(やまのいも)とも甘藷(さつまいも)とも旨(うま)ひ奴等が口の端にかゝる浮(うき)世に産れ來て。牛の糞(ふん)やら胡麻味噌やら。やみらみつちやの流渡。海参(なまこ)の尻やら頭やら。蟹(かに)の竪やら橫道やら。にうががにうへとちりあべこべ錢あるものは利口に見え。出杌(くひ)は打るゝ習ひ。
天狗のあたまの眞僞を論じ。時を移(うつ)せば腹がへり。日が重れは店賃がふへ。月が延れは質(しち)か流るゝ。儒者は本田あたまの通り者をとらへて。尭舜の民たらしめんとし。賢女兩夫に見(まみ)えすと。女郎屋の二階て講釋(こうしやく)をするは。[※虫へんに醫]螉(じかばち)が蜈蚣(むかで)をとらへて。我に似よといふが如し。
動(どう)と止(しい)との文字は合ふても。馬めが合点いたさねば。世話やくがたはけながらも。腹へはいる藥は。人命(ひとのいのち)の存亡(いきしに)にあづかれば。聞ぬまでも赤目引はり。某時珍になりかはり。一問答せねばならねど呑もせず傅(つけ)もせず目を歓ばすばかりにて。毒にもならす。藥にも。何のお茶とうにもならされば。諸人自(みづから)甘(あま)ンして天狗といふて嬉しがるならば。其波を揚(あけ)その醨(しる)をすゝりて。天狗にするが卓見(たくけん)なり。
そのうへ縫目(ぬいめ)の蚤虱(のみしらみ)さへ悉(こと/\く)は見盡されず。まして天地の廣大(くはうたい)なる萬物の際限(さいげん)なき。一人の目を以て極がたけれは。答は繪に画(かく)天狗殿がお出やるまいものにもあらず。有たとて天狗ぐらいにさらわれる男でなけれは。微塵(みちん)こわくもなんともなく。無いとて小遣錢の切た程に不自由にも思はねば。只造化(そうくは)といへる細工人のお心持次第なり。
若又天狗か何故死たと根問する人の有ならばあまり高慢が過て。科(とが)なき者を惡(わる)くいふたり。人を食たり抓(つかん)だりがかうじた故。天狗の親玉太郎坊殿怒をなし。木の葉天狗を引とらへ首ねぢ切て捨たるを。豊水が見つけて拾(ひろ)ひ上し物ならん。これ皆余所の事ならす。今時世上に目がなければ。おとなしふ爪をかくせば鳶かと思ふてたはけともが。茶にしたり馬鹿にする故。謙退(けんたい)辞譲(じしやう)は間に合ず。高慢いわぬは損なれども。又其高慢が過る時は。天道からあたまをへさへ。必憂目にあふものなり。人々慎玉へかしといへは。皆尤とうなつきぬ。
 天狗さへ野夫ではないとしやれかうへ
  極てやるが通りものなり
     風來山人書

 跋
天狗髑髏鑑定縁起といへるは。一とせ予か戲に書(かき)ちらし。大場豊(ほう)水に與(あた)へたるを。此頃(このころ)書林開板(かいはん)しけるを。或(ある)人見て予に謂(いつ)て曰。嗚呼(あゝ)子か人を譏(そし)る事甚しひかな。彼(かの)文中毉者(いしや)と藥店(やくてん)共に盲とし。陳皮(ちんひ)もしらすとは何事(こと)そや。陳皮は蜜柑(みかん)の皮(かは)にして。三歳の小児も能是を知る。まして醫者(しや)藥(くすり)屋をや。此書行れさる以前(せん)。此文を削去(けつりさり)て世の嘲(あさけり)を免るへしと。
予答(こたへ)て曰。陳皮の事神農(しんのう)本草經(そうけう)には橘柚(きつゆ)と有。後(こう)世二物(ふつ)自(おのつから)別なり。或は方(ほう)書に橘皮(きつひ)と記(しる)し。陳皮靑皮のわかちあり。然るを香川氏か藥撰(やくせん)に謔言(たはこと)をついてより。古方家(こほうか)と稱(せう)する文盲(もんもう)醫者とも。陳皮を捨(すて)て青皮而己(のみ)をつかふ。陰陽造化(いんやうさうくは)の理に暗(くら)く。藥をしらすして療治するは。[※坐の左の人が口]行(いさり)にて轎夫(かこかき)と成り。達磨(たるま)か串童(かけま)を勤るに似(に)たり。蜜柑の皮より腹(はら)の皮。日頃笑止(せうし)千万と思ふ息(いき)が鼻(はな)へぬけ。戲ましりに書(かき)ちらせしなり。
こけおどしの大言にあらす。習ひたくば敎(をしへ)てやるべし。若(もし)此惡たいを無念(むねん)に思はゞ。藥屋にもせよ醫者にもせよ遠ひ藥はさて置て。陳皮一味の事なりとも。わかるといふ人有ならは。來りて我と議論(ぎろん)せよ。所(ところ)は神田大和町の代地。一月三分の貸店(かしだな)に。貧乏(ひんぼう)に暮(くら)せとも本名も隱(かく)れなし。時に安永五ッのとし尻(しり)眞赤(まつか)いな申ノ極月。借金乞にいひ訣(わけ)の暇(いとま)風來山人識

ケヤキと雲母

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1枚目の写真はケヤキの幹にある、たぶん、皮目(ひもく)です。鱗片状に剥がれて球形になると、雲母や薄板状結晶集合の Thomsonite(トムソン沸石)、Gyrolite(ギロル石、ガイロル石)等に似て見えます。
2枚目の写真はホームセンターで売っていたバーミキュライト(蛭石、金雲母)。

薄板状の Thomsonite と Gyrolite はウェブの写真等では見分けにくく、取り違えているケースもありそうな…
下の Thomsonite-Ca-t07-87a.jpg のタイプの微小なもの(白色)を見かけますが、どちらか、あるいは他の鉱物か、迷います。Gyrolite_(Inde).JPG のタイプは見つけても何の鉱物かわからないかも…(化石もそうですが、1つ2つの図鑑で見てもなかなか確信は持てないです)

Thomsonite(トムソナイト、トムソン沸石)
https://www.mindat.org/min-28896.html
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Thomsonite-Ca-t07-87a.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Thomsonite-Ca-k259b.jpg

Gyrolite(ジャイロライト、ギロル石、ガイロル石)
https://www.mindat.org/min-1785.html
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gyrolite_%28Inde%29.JPG
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gyrolite-indi-31b.jpg


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